藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

里の菜種さとのなたね

作詞者・作曲者・初演年不詳  本文の題名「里の名田根」

里の菜種 菜の花畑の蝶
菜の花畑の蝶

菜種の花に来る蝶に「せめてひと夜は手にとまれ」と呼びかけ、井筒・銚子・蝶番いと道具の名に恋の文句を言い掛けてゆく、地口の密な小品。廓の勤めを離れて里に落ち着きたいという思いで結ぶ。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の『歌撰集』による。原典の本文の題名は「里の名田根」。

あらすじ

蝶や小蝶、せめてひと夜は手にとまれ。蝶は菜種の味知らず——知らず知られぬ言の葉の、恋の山崎。それ、そのそこに近う見えれど、与次兵衛さまは見えぬ。わたしに「あ」の字が——気は仲の町か、文は妹背の、その「いも」を見ざる間に。井筒井筒は、汲むまで汲めど、中で二つに行き違う。はてはて、なんとしよう。銚子と加えが別れていれど、癪と癪との蝶番い。はてはて、なんとしよう。いつか勤めを離れて、ほんに里に東を——置き土産。

詞章と現代語訳

てふや小蝶こてふのせめてひとにとまれ

蝶や小蝶、せめてひと夜は手にとまれ。

てふは菜種なたねのあぢしらず、しらずしられぬことのの、こひのやまざきそれそのそこにちかふみへれど与次兵衛よじべゑさまみへぬ

蝶は菜種の味知らず——知らず知られぬ言の葉の、恋の山崎。それ、そのそこに近う見えれど、与次兵衛さまは見えぬ。

〔カン〕

わしにあのが、なかちやうか、ふみはいもせのふみはいもせのいもざるまに

わたしに「あ」の字が——気は仲の町か。文は妹背の、文は妹背の、その「いも」を見ざる間に。

ゐづつゐづつはくるまでくめど、なかでふたつにゆきちがふ、はてはてハテなんとしよう

井筒井筒は、汲むまで汲めど、中で二つに行き違う。はてはて、はて、なんとしよう。

てうしくわへがわかれてゐれど、しやくとしやくとの蝶番てふつがひハテハテハテなんとしよう、いつかつとめをはなれてほんに、さとにあづまをおきみやげ

銚子と加えが別れていれど、癪と癪との蝶番い。はてはて、はて、なんとしよう。いつか勤めを離れて、ほんに、里に東を置き土産。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『歌撰集』の本文(著作権消滅)により、章句の記号は原典のまま段の頭に残し、繰り返し記号は読みやすく展開した。原典の本文の題名は「里の名田根」、題の下に「楽丸/花鬼」と添えてある。

原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。

「蝶は菜種の味知らず」は、菜の花に来る蝶が花の味を知らぬように、思いは通じないことのたとえ。そこから「知らず知られぬ言の葉」へ続ける。

「恋のやま崎」は山崎(地名)に「病み」を掛けるか。「与次兵衛」は当時の芝居・浄瑠璃の人物名と見られるが、どの役を指すかは確かめられていない。

「中の町」は吉原の中の町。「文はいもせ」は妹背(夫婦)に、下の「いも見ざるまに」を続けた言い掛け。

「井筒」は井戸の囲い。『伊勢物語』筒井筒の縁で恋の言い回しに使う。「銚子」と「加え」は酒器で、「蝶番い」は蝶の縁語であわせた地口。

語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「わしにあの字が」「しやくとしやくと」「さとにあづまを置みやげ」の意。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。