藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

船頭せんどう

清元  変化物としての題『歌へす/\余波大津絵』(かえすがえすおなごりおおつえ) 別題『大津絵船頭』  三枡屋二三治 作(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

船頭 夕立あがりの小舟と雷の太鼓
夕立あがりの小舟と雷の太鼓

大津絵に題を取った変化物の一段で、江戸の船頭と雷を取り合わせた滑稽な小品。空模様をにらんで竹煙管をくわえる船頭の「お神立でもあるべいか」に、たちまち雷がぴっしゃり。篠突く雨に廓へ通うご贔屓の旦那を送る江戸船、水道の水で育った勇み肌の船頭は「落ちるなら落ちてみろ、今年でちょうど二十年の江戸っ子だ」と雷に悪態をつく。そのくせ安女郎に入れあげて、とどのつまりは雷の仲間入り——二上りでは、太鼓を腰に虎の皮の頬かぶりで光ってみせる雷どんの色恋をおかしくうたい、悪い地口もでたらめに、いつもの酒屋へ走って行く。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。

あらすじ

船頭が空の顔色を見て竹煙管をくわえ、「雷雨でも来るか」とつぶやくと、たちまち雷がぴっしゃり落ちて肝を冷やす。篠突く雨の中、廓へ通うご贔屓の旦那を江戸船で送る。水道の水で育った江戸っ子の船頭は「落ちるなら落ちてみろ」と雷に悪態をつくが、そのくせ言うのはこわごわ。蝦夷松前の人でも東の者でも、惚れた心に二つはない。この頃は安女郎に入れあげて血道を上げ、客と船頭の二人前。とどのつまりは、つまらぬごろつきが雷の仲間入り。雲の上からごろごろと、太鼓を腰に虎の皮の頬かぶりで光ってみせる雷どんの色恋も、鳴るのが仕事で落ちてしまう。とんだ色事と地口を飛ばして、いつもの酒屋へ走って行く。

詞章と現代語訳

船頭せんどう殿どのの顔かほの色いろ〔合〕じつと眺ながめて竹たけ煙管ぎせる〔合〕おかんだちでもあんべいか

船頭どのが空の顔色を、じっと眺めて竹煙管。「お神立(雷雨)でもあるべいか」。

そりやこそ雷かみなり落おちて、ぴつしやり胆きも冷ひやす〔合〕

それ見たことか、雷が落ちて、ぴっしゃり——肝を冷やす。

篠しのを束たばねて突つくよな雨あめに、濡ぬれて通かよふか〔合〕

篠を束ねて突くような大雨に、濡れて(廓へ)通うのか。

憎にくからぬ〔合〕共とも御ご贔屓ひゐきの旦那だんなを送おくり、江戸えど船ぶねの

憎からぬ——ご贔屓の旦那を送る江戸船の。

わつちやこれでも水道すいだうの水みづが、染しみ渡わたつたる有難ありがたさ〔合〕お恵めぐみ受うけて上のぼり船ぶね

わっちゃこれでも、水道の水が身に染みわたった江戸っ子のありがたさ。お恵みを受けて上り船。

オイ、かしを突つきやすヨウ、当あたりやす

「おい、かしを突きやすよう」「当たりやす」。

相手あいて嫌きらはぬ勇いさみ肌はだ、怖こはいものなく悪あく態たいを、怖々こはごは言いふも

相手を選ばぬ勇み肌。怖いものなしと悪態を——そのくせ、こわごわ言うのも。

コレ雷かみなりサア、落おちるなら落おちて見みろ、今年ことしで丁度ちやうど廿年にじふねんの江戸えどツ子こだへ

「これ雷さあ、落ちるなら落ちてみろ。今年でちょうど二十年の江戸っ子だえ」

蝦夷ゑぞ松前まつまへのお方かたでも、または東あづまのわつちらでも、心こゝろに二ふたつはないはいな

蝦夷松前のお方でも、東のわっちらでも、心に二つはないわいな。

これも偏ひとへに皆様みなさまのおかげで、小こ色いろも土地とち柄がらで、言いふも惚気のろけて受うけさせる

これもひとえに皆さまのおかげで、ちょっとした色事も土地柄で、言うことものろけて受けさせる。

此このごろ家鴨あひるのおんなめに〔合〕踵かゝとじやないが食くい込こまれ、こつちも血道ちみちをあげ汐しほに〔合〕客きやくと〔合〕船頭せんどうの〔合〕二人前ふたりまへ〔合〕

この頃、家鴨(安女郎)の女めに、踵ではないが食い込まれ、こっちも血道を上げ潮に——客と船頭の二人前。

とうとう小づりを入いれあげて、とゞのつまりは〔合〕どう考かんがへても、末すゑはつまらぬごろつきは、今日けふ雷かみなりの仲間なかま入いり、ならひごころにやつてくりよ

とうとう「小づり」まで入れあげて、とどのつまりは、どう考えても末はつまらない。ごろつきは今日から雷の仲間入り——「ならひごころ」にやってくれよう。

〔二上り〕

さても可笑おかしや、雲くもの上うへからごろり〔合〕ごろり〔合〕ごろごろごろと、仰山ぎやうさんな雷かみなりどんの色いろ恋こひは〔合〕

さても可笑しいことよ。雲の上からごろり、ごろり、ごろごろごろと、仰山な雷どんの色恋は。

太鼓たいこ腰こしにくつつけて〔合〕虎とらの皮かはの頬被ほゝかぶり、光ひかつて見みせてぶらぶらと〔合〕鳴なるが所在しよざいで、そりやこそ〔合〕落おちて〔合〕こひしやる訳わけもなや

太鼓を腰にくっつけて、虎の皮の頬かぶり、ぴかりと光って見せてぶらぶらと。鳴るのが仕事で、それ見たことか落ちてしまい——「こひしやる」わけもない。

〔ナヲル〕

こいつはとんだ色事いろごとと、いさみはなみを走はしるもの、悪わるい地口ぢぐちも出で鱈目たらめに、いつもの酒屋さかやへ走はしり行ゆく

「こいつはとんだ色事だ」と、「いさみはなみ」を走るもの。悪い地口もでたらめに、いつもの酒屋へ走って行く。

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次の題名は『歌へす/\余波大津絵(船頭)』、本文の題名は『歌へす/\余波大津絵』『〔大津絵の内〕船頭』。原典に「作者 三枡屋二三治」とある。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した(「小づり」は読みと語義を定めがたいので、原典のまま残した)。

大津絵は、近江の大津で旅人の土産に売られた素朴な民画。雷や船頭も画題にあり、この変化物は大津絵の画題を次々に踊り分ける趣向と見られる。雷が太鼓を背負い、虎の皮の褌をしめた姿で描かれるのは、雷神の決まった姿による。

繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(とう/\、ごろ/\/\、ぶら/\)。濁点つきの「こは/゛\」は「こはごは」と見た。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

「お神立」は雷雨の古い言い方と見た。「水道の水」は、江戸っ子が神田上水・玉川上水の水で産湯を使ったことを誇りにした言い回し。「上り船」は川を上る船。「かしを突きやす」「当たりやす」は船頭の掛け声と見た(「かし」は舟をつなぐ杭の意か)。「家鴨」は安い私娼をいう語と見た。「血道をあげ汐」は「血道を上げ」に上げ潮を掛け、「ごろつき」は雷のごろごろに掛ける。

原典の用字「くいこまれ」「こひしやる」、「江戸ツ子」の片仮名の「ツ」はそのまま残した。

語義を定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「憎からぬ共」の「共」(供の意か)、「小づり」、「ならひごころ」、「こひしやる」、「いさみはなみを走る」。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。