糸の五月雨いとのさみだれ
清元 別題『小菊半兵衛』(原典の目次の括弧書きによる) 福森亭宇助 述(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

深川の芸子小菊と町人半兵衛が、思いがけない取り違えから屏風の内で契りを結んでしまった一夜の後日の一曲。うたた寝の枕に時鳥、梅雨に濡れる翼と起こし、半兵衛は「小富と思っての出来心」と逃げ腰になり、小菊は「深い願いのため、気の進まない殿様に承知したのが入れ替わった」と明かして、訳知りと褒められた身をこれきりにはできないと恨む。深川の二軒茶屋で初めて会った日の思い出、「吹けよ川風あがれよ簾」の小唄、及ばぬ恋の揚羽の蝶と、しっとりとした口説が続く。やがて落ちた手紙から小菊が主人の敵を追う身と知れ、半兵衛は町人ながら助太刀を引き受けて、改めて夫婦の盃を交わす。
あらすじ
夢を結ぶうたた寝の枕に時鳥、梅雨に濡れる翼。思いがけず屏風の内で契りを交わした小菊と半兵衛。半兵衛は「色恋を見破って楽しむ酒の介抱、小富と思っての出来心」と言い、小菊は「この身に深い願いがあって、それを頼むために気の進まない殿様へ承知したのに、入れ替わってしまった」と明かす。互いに思わぬ間違いとはいえ、水に流そうと言われては、廓に住んでも色気を離れた訳知りと褒められた身がこれきりにはなれない。深川で芸子になったはじめ、二軒茶屋のお座敷で初めて合いの手を合わせた日から、あなたに見とれ、じらされた嬉しさ。及ばぬ恋に揚羽の蝶、浮世にすねて暮らしていたのに、どんな浮気な神さまが結んだ縁の糸か。そこへ落ちた手紙を半兵衛が読むと、小菊は主人磯貝実右衛門の敵、島川太兵衛を討ち、紛失した武術の秘伝書を詮議する身。兄からの頼みの状と知った半兵衛は、町人ながら武士気質、助太刀を引き受け、二人は改めて夫婦の盃を交わす。
詞章と現代語訳
夢むすぶ、うたゝ枕に時鳥〔合〕翼も梅雨につい濡れて、濡れて恥かし忍ばじと〔合〕こゝろ小菊と半兵衛は、取乱したる姿振も〔合〕しめて結ぶの縁ならで、解けぬ思と三重の帯
夢を結ぶうたた寝の枕に、時鳥。その翼も梅雨についつい濡れて——濡れて恥ずかしく、もう忍ぶまいと、心を寄せた小菊と半兵衛。取り乱した身なりも、締めて結ぶ縁ではなくて、解けぬ思いと三重の帯。
これ小菊さん、思ひがけない屏風の内、契をこめた其の上に、斯う言へば何うやら、逃るやうにも思はうが、色恋を見やぶつて、楽しむ酒の介抱を、小富と思ひ出来心、枕交して今更は、納まらぬ今宵の仕儀
これ小菊さん、思いがけず屏風の内で契りを交わしたその上に、こう言えば、どうやら逃げるようにも思われようが——色恋を見破って楽しむ酒の介抱を、小富と思っての出来心。枕を交わした今となっては、収まりのつかない今宵のなりゆき。
それいなア私も浮気をとり置いて、此身に深い願がある故、それを頼まん為ばかり、心に染まぬ殿様へ、得心したに振替つて
それですよ。わたしも浮気は脇へ置いて、この身に深い願いがあるので、それを頼むためだけに、気の進まない殿様へ承知したのに、それが入れ替わって——
互に思はぬ間違づく、今宵の事は何事も
互いに思いもかけない間違いずく。今宵のことは何もかも——
サア水にしたう思ふても、枕交して胴欲な、申し半兵衛さん
さあ、水に流したいと思っても、枕を交わしておいて、むごいこと。もし、半兵衛さん。
流の廓に〔合〕身は住めど〔合〕色気離れて訳知と〔合〕褒められた身を胴欲な〔合〕寐て真実は知りながら、何う是限に〔合〕なろぞいな〔合〕
流れの里に身は住んでいても、色気を離れた訳知りと褒められたこの身を、むごいこと。寝てまことの心は知りながら、どうしてこれきりになれましょうか。
自体私は深川へ、芸子になりし始めから〔合〕店のお方の出番にも、呼ばれて一度二軒茶屋〔合〕しかも其の時此の家で〔合〕主に始めて合の手も〔合〕
そもそもわたしは深川で芸子になったはじめから、店の方々のお座敷にも呼ばれて、一度は二軒茶屋へ。しかもそのとき、この家で、あなたに初めて合いの手も——
一座の中で水際の、たつた一人が目に立つて〔合〕どうか調子の好さ相な、如才は内所の取捌き、いとしらしいとかせかけて〔合〕
一座の中で水際立った、たった一人が目について、どうやら調子のよさそうな、抜かりのない内々の取りさばき。いとしらしいと気をかけて——
色に高音の三味線も〔合〕
色めいて高い音の三味線も——
吹けよ川風あがれよ簾、中の小唄のひと口に〔合〕
〽吹けよ川風、上がれよ簾——中の小唄のひと節に、
おもひつくだもうつかりと〔合〕主に見とれてなぶられて、じらされた身の嬉しさも〔合〕及ばぬ恋に揚羽の蝶〔合〕染めて染まらぬ比翼ぞと〔合〕
思いを寄せたのもうっかりと、あなたに見とれてはからかわれ、じらされた身の嬉しさも、及ばぬ恋に揚羽の蝶。染めても染まらぬ比翼の仲よと——
浮世に強ねて暮せしに〔合〕どんな浮気な神さんが〔合〕今宵結びし縁の糸、解けじ〔合〕離れじ〔合〕青柳の、風にもつるゝ風情なり
浮世にすねて暮らしていたのに、どんな浮気な神さまが今宵結んだ縁の糸か。解けまい、離れまいと、青柳が風にもつれるような風情である。
落散る状を半兵衛は、さつと開いて読下し
こぼれ落ちた手紙を、半兵衛はさっと開いて読み下し、
ヤヽヽヽヽ此の状の表を見れば、扨はそなたは敵打か
やや、この手紙の文面を見れば、さてはそなたは敵討ちか。
サア御主人磯貝実右衛門様の、敵は島川太兵衛とやら、紛失の武術の秘書の詮議、助太刀倶に頼むとある
さあ、ご主人磯貝実右衛門様の敵は島川太兵衛とやら。なくなった武術の秘伝書の詮議と、助太刀とを、ともに頼むと書いてある。
そなたの兄の依頼の状、町人なれども武士気質、一大事を知つたからは、引はせぬ及ばずながら
そなたの兄からの頼みの手紙。町人ではあるが武士気質、この一大事を知ったからには、引きはせぬ。及ばずながら——
力となつて下さんすか
力になってくださいますか。
如何にも更めて夫婦の盃
いかにも。改めて夫婦の盃を。
エヽ嬉しう御座んす
ええ、嬉しゅうございます。
縁ある中はくどからず、つい気も解けて盃の、互の心汲みかはす、二世の〔合〕契ぞ羨し
縁のある仲はくどくどしくなく、つい気もほどけて、盃に互いの心を汲み交わす。二世の契りこそ羨ましい。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の目次に括弧書きで「小菊半兵衛」とあるのを別題とした。原典に「福森亭宇助述」とある。どの芝居の一場によるかは原典からは確かめられない。
話し手の名は原典に記されていない。二・四・十四〜十六・十八段目を半兵衛、三・五〜十二・十七・十九段目を小菊の詞と見て訳したが、四段目の「今宵の事は何事も」は小菊の詞とも読める。
「小富と思ひ出来心」は、半兵衛が相手を別の女(小富)と取り違えたと見て訳した。「小富」の読みは確かめられないのでふりがなを付けていない。人名「磯貝実右衛門」「島川太兵衛」も読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。
「吹けよ川風あがれよ簾」は、よく知られた端唄の文句による。当ライブラリの常磐津「五人囃子」にも「吹けよ川風簾を揚げて」と出る。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「おもひつくだも」(思ひ付くたも、の意かと見たが断じきれない)、「いとしらしいとかせかけて」。
原典の用字「恥かし」「逃る」「強ねて」「寐て」「倶に」「更めて」はそのまま残した。「ヤヽヽヽヽ」も原典のままとした。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。