藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

矢の根やのね

作詞者・作曲者・初演年不詳  資料の題名「矢の根五郎」(やのねごろう)  歌舞伎十八番の一つ「矢の根」による

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矢の根 荒事_大根の鞭
荒事_大根の鞭

正月の曽我物。恵方に向かって祝詞を唱え、古庵で矢の根を磨く曽我五郎。年始の礼者からもらった宝船の絵を枕にまどろむと、兄十郎が夢に現れて危急を告げる。目覚めた五郎は大根売りの馬を奪い、大根を鞭に工藤の館へ駆ける。

あらすじ

曽我の五郎時宗は恵方に向かって祝詞を唱える。新しい庵なら何もかも改まるはずだが、今年も古庵・古畳・古井戸のまま、矢の根を磨いている。養由基の弓は遠い唐土の話、近く我が国なら為朝や頼政——その弓勢にも劣るまいと、生まれついての不敵な気丈者。正月の食い物と道具を並べた地口尽くしで貧乏をこきおろし、七福神にまで悪態をつくが、富貴は天にあり、顔回は陋巷にあって一箪の食一瓢の飲、肘を枕に楽しみはその中にある、と安煙草をくゆらせて寛いでいる。そこへ年始の礼者・大薩摩主膳太夫が来て、末広と宝船を年玉に置いて帰る。五郎は宝船の回文歌を上から下から読みながら、雑煮腹の食後の一睡と、砥石を枕にまどろむ。すると青ざめた兄十郎祐成が夢に現れ、祐経の館で捕われの身になった、急ぎ救ってくれと告げて消える。目覚めた五郎は、天へ登らば続いて登り大地へ入らば分け入ろうと勇み立ち、通りかかった大根売りの馬を奪って、手頃の大根を鞭に、工藤の館へ駆けてゆく。

詞章と現代語訳

〔本調子〕

去さる程ほどに曽我そがの五郎ごらう時宗ときむねは、恵方えはうに向むかつてふとのつと、夫それ父ちちの仇あだには倶ともに天櫃てんびつ和合楽わがふらく、寿福じゆふく円満ゑんまん巻まきの、軍書ぐんしよの窓まどの北面きたおもては、残のこんの雪ゆきの浅緑あさみどり、春風しゆんぷう春水しゆんすい一枝いつしの梅うめ、豁からと開ひらくや花はなの春はる、新あたらし庵いほりの物毎ものごとに、改あらたまれども時致ときむねは、今年ことしも古庵ふるいほ古畳ふるだたみ、古井ふるゐと言いひし処ところにて矢やの根ね磨といて居ゐたりける

さて曽我の五郎時宗は、恵方に向かって太祝詞を唱える。父の仇とは倶に天を戴かず——その「天」に天櫃・和合楽・寿福円満と、めでたい巻物の文句を言い掛けて。軍書をひもとく窓の北向きには、消え残った雪に浅緑がのぞく。春風春水、一枝の梅がかっと開く花の春。新しい庵なら何もかも改まるはずだが、時致のほうは今年も古庵・古畳・古井戸と言われた住まいで、矢の根を磨いていたのであった。

伝つたへ聞きく養由やういうが、矢先やさきは遠とほき高麗かうらい唐土もろこし

伝え聞く養由基の矢先の話は、遠い高麗や唐土のこと。

近ちかく和朝わてうを尋たづぬれば、鎮西八郎ちんぜいはちらう為朝ためとも、源三位げんざんみ頼政よりまさが、古今無双ここんぶさうの弓勢ゆんぜいにも、優まさりはするとも劣おとらじと

近く我が国に尋ねれば、鎮西八郎為朝、源三位頼政——その古今無双の弓勢にも、勝りこそすれ劣るまいと。

天性てんせいヤア不適ふてきの気丈者きぢやうもの

生まれついての、いやはや不敵な気丈者よ。

虎とらと見みて石いしに田作たづくり柿膾かきなます、矢立やたての酢牛蒡すごばう煮凝にこごり大根だいこん、一寸いつすんの鮒ふなに昆布こんぶの魂たましひ、譬たとはば祐経すけつね節汁ふししるの、鯨くぢらの威勢ゐせい振ふるふとも、我わ鯱鉾しやちほこの飾海老かざりえび、赤あかいは親父おやぢの譲ゆづりの面つら、つらつら世上せじやうを鑵子くわんすの蓋ふた、ちろり澗鍋かんなべ文福茶釜ぶんぶくちやがま、毛抜けぬき鋏はさみの折をれるまでも、古金買ふるがねかひに遣羽子やりはごの、一夜ひとよ明あけても旧冬きうとうの鎖帷衣くさりかたびら小手こて脛当すねあて、すねから干鯛ひだひも乾貝ほしがひも、取とるに取とられぬ酒屋さかやの通かよひ、〆しめて十七貫じふしちくわん八百六十四文はつぴやくろくじふしもん、横よこに寐ねの日ひの初寅はつとらも、食合くひあはせの無ない福ふくの神かみ、どうで貧乏びんばふするからは、自問自答じもんじたふの悪体あくたいを、申まうして申まうさく

「虎と見て石に立つ」の故事に田作・柿膾を言い掛け、矢立に酢牛蒡、煮凝りに大根。一寸の虫にも五分の魂ならぬ、一寸の鮒に昆布の魂。たとえば祐経ならぬ節汁の、鯨のような威勢を振るおうとも、こちらは鯱鉾に飾海老。赤いのは親父譲りの面——つらつら世上を見わたせば、鑵子の蓋にちろり、澗鍋、文福茶釜。毛抜も鋏も折れるまで使い、古金買いに出しては羽子板に替える始末。一夜明けてもまだ旧冬のまま、鎖帷子に小手・脛当。その脛から干鯛も乾貝も、取ろうにも取られぬ酒屋の通い帳、〆て十七貫八百六十四文。横になって寝るばかりの初寅の日、食い合わせの悪くない福の神とてない。どうせ貧乏するからには——と、自問自答の悪態を、申して申すには。

先まず大黒だいこくは慮外者りよぐわいもの

まず大黒は無礼者。

とはどうぢや

とは、どういうことだ。

はて不断ふだん頭巾づきんを脱ぬがぬはさ

はて、いつも頭巾を脱がぬではないか。

恵比寿えびすは身持みもちがうそぎたない

恵比寿は身持ちがうすぎたない。

とはどうぢや

とは、どういうことだ。

はて鯛たひをお抱かかへの脇わきの下した

はて、鯛をお抱えの、その脇の下よ。

江戸前えどまへにてもあらばこそ

江戸前の魚ででもあればまだしも。

精進日しやうじんびにはつきあはれぬ

精進日には付き合っていられぬ。

毘沙門天びしやもんてんの兜頭巾かぶとづきんは、用心ようじんすぎてうつとしい

毘沙門天の兜頭巾は、用心が過ぎてうっとうしい。

布袋ほていはどぶつ、福禄寿ふくろくじゆは

布袋はどぶつ。福禄寿はといえば。

月代さかやき剃そるに手間てまがいる

月代を剃るのに手間がかかる。

弁財天べんざいてんは船饅頭ふなまんぢゆう、浪なみのり船ぶねの銭儲ぜにまうけ

弁財天は船饅頭、浪乗り船の銭儲け。

儲まうけられうがられまいが苦労くらうにするは国土こくどのたはけ

儲かろうが儲かるまいが、それを苦にするのは天下のたわけ。

富貴ふうき天てんに在あり、死生しせい命めいあり

富貴は天にあり、死生は命にあり。

何いづれ祈いのるに所ところなし

いずれ祈るべき先などありはしない。

実げに顔回がんくわいが陋巷ろうかうに

まことに顔回は陋巷にあって。

一箪いつたんの食し一瓢いつぺうの飲いん

一箪の食、一瓢の飲。

粗食そしよくを喰くい水みづを呑のみ

粗食を食い、水を飲み。

肱ひぢを曲まげて枕まくらとす

肘を曲げて枕とする。

楽たのしみしんぞ其その内うちに

楽しみはまことにその中にある。

有あるにまかする安煙草やすたばこ、煙管きせるおつとり吸付すひつて、鼻はなの先さきなる春霞はるがすみ、打うち眺ながめつつ時致ときむねは、寛々くわんくわんとして居ゐたりける

あるにまかせた安煙草。煙管を手に取って吸いつけ、鼻の先に立ちこめる春霞を眺めながら、時致はゆったりと構えていたのであった。

時ときに年始ねんしの門礼者かどれいしや、素礼それい年玉としだま狭箱はさみばこ、三味線筥しやみせんばこの一ひとツ調子てうし、声こゑ張はり上あげて物ものもう

そこへ年始の門礼者。素礼の年玉を挟箱に入れ、三味線箱をひとつ調子に、声を張り上げて「物申す」。

どうれ

どうれ。

大薩摩主膳太夫おほさつましゆぜんだいふ年始ねんしのお礼れい申まうします

大薩摩主膳太夫、年始のお礼を申します。

是これは是これは早々さうさうとの御出おいで、殊ことに年玉としだまとして末広すゑひろ並ならびに宝船たからぶね、裃かみしもとつてイザ奥おくへ、祝いはひませう祝いはひませう

これはこれは、早々のお出で。ことに年玉として末広ならびに宝船まで。裃を取って、さあ奥へ。祝いましょう、祝いましょう。

いやさう致いたいては居をりますまい、方々はうばうで御座ござれば尚なほ永日えいじつの時ときを期ごし、ゆるりと御意ぎよいを得えませうぞ

いや、そうしてはいられません。方々を回りますので、日永の頃を待って、ゆるりとお目にかかりましょう。

でも一寸ちよつと盃さかづきを

それでも一つ、盃を。

いいや御免ごめん御免ごめん春永はるながにと、言捨いひすてこそ立帰たちかへる

いやいや御免、御免。春永に——と言い捨てて帰ってゆく。

大薩摩主膳太夫おほさつましゆぜんだいふなればこそ、時宗ときむねの処ところへ祝いはふてくれるハテ奇特きどくな男をとこぢやなア

大薩摩主膳太夫なればこそ、この時宗のところへ祝いに来てくれる。はて、奇特な男よなあ。

其その時とき五郎ごらう年玉としだまを、開ひらくや扇あふぎ宝船たからぶね、ハテ気きの付ついたる年玉としだまと正月心しやうぐわつごころ若輩じやくはいに、上うへから読よんでも長ながき夜よの、下したから読よんでも長ながき夜よの、とをの眠ねぶりのとろとろと、したたた過すぎたる雑煮腹ざふにばら食後しよくごの一睡いつすい一楽いちらくと、砥石といしを拭ぬぐひ無雑作むざふさに、是これ邯鄲かんたんの枕まくらぞと、踏ふん反ぞりかへつて時致ときむねは、暫しばしまどろむ高鼾たかいびき、豊ゆたかにこそは臥ふしにけれ

そのとき五郎が年玉を開けば、扇に宝船の絵。はて気の利いた年玉だと、正月らしい若い心で——「長き夜の遠の眠りの皆目覚め」と、上から読んでも下から読んでも同じ回文の歌。そのとおり、とおの眠りがとろとろと。食べ過ぎた雑煮腹、食後の一睡こそ一番の楽しみと、砥石を無造作に拭って、これぞ邯鄲の枕よと、踏ん反りかえって時致は、しばしまどろむ高鼾。ゆったりと臥せっていたのであった。

ああら不思議ふしぎやうたた寐ねの、傍かたはらすごき風かぜの脚あし、ぢつちを踏ふまぬ朧影おぼろかげ現うつつともなく夢ゆめともなく、いと色いろ蒼あをざめたる顔色かほいろにて、舎兄しやけい十郎じふらう祐成すけなり忽然こつぜんと現あらはれ出いで

ああ不思議や、うたた寝の枕もとに、すごみを帯びた風の脚。地を踏まぬ朧げな影が、現ともなく夢ともなく——たいそう青ざめた顔色で、兄の十郎祐成が忽然と現れ出た。

如何いかに時宗ときむね我われ計はからずも今日けふ祐経すけつねが館やかたへ虜とりことなり、籠中ろうちうの鳥とり、網裏まうりの魚うを、働はたらかんに力ちからなし、急いそぎ来きたつて急難きふなんを救すくひくれよ、起おきよ五郎ごらう、覚さめよ時宗ときむね

「いかに時宗。われは思いがけず、今日、祐経の館で捕われの身となった。籠の中の鳥、網の中の魚、動こうにも力がない。急ぎ来て、この急難を救ってくれ。起きよ五郎、覚めよ時宗」。

といふかと思おもへば忽たちまちに消きえて形かたちはうせにけり

と言うかと思えば、たちまち消えて姿は失せてしまった。

時宗ときむね夢ゆめさめむつくと起おき、四辺あたりを見みれども人ひともなく、茫然ばうぜんとして居ゐたりける

時宗は夢から覚めてむっくと起き、あたりを見回すが人もいない。茫然としていたのであった。

さては夢中むちうに兄あに祐成すけなり、念力ねんりき通つうじて救難きうなんを、救すくひくれよとの我われへの告つげ、たとはば祐経すけつね天てんへ登のぼらば続つづいて登のぼり、大地だいちへ入いらば同おなじく分わけ入いり、日本にほん六十余州ろくじふよしうは目めのあたり、東ひがしは奥州あうしう外そとが浜はま

さては夢の中で兄祐成の念力が通じ、この難を救ってくれとの我への告げであったか。たとえば祐経が天へ登るなら続いて登り、大地へ入るなら同じく分け入ろう。日本六十余州は目の当たり——東は奥州外が浜。

西にしは鎮西ちんぜい鬼界きかいが島しま

西は鎮西、鬼界が島。

南みなみは紀きの路ぢ熊くまの浦うら

南は紀の路、熊野の浦。

北きたは越後ゑちごの荒海あらうみまで

北は越後の荒海まで。

人間にんげんの通かよはぬ処ところ

人の通わぬ処であろうと。

千里せんりも行ゆけ

千里も行こう。

万里ばんりも飛とべ

万里も飛ぼう。

いで追掛おつかけんと時宗ときむねが勢いきほひすすむ有様ありさまは、恐おそしかりける次第しだいなり

いざ追い掛けようと、時宗の勢い進む有様は、恐ろしいばかりの次第であった。

かかる処ところへ向むかうより、馬附大根うまつけだいこん春商はるあきなひ、大根だいこ大根だいこと呼よび来くる、時宗ときむねこれをきつと見みてこれ幸さいはひの裸背馬はだかせうま、値あたひは望のぞみにまかすべし

そこへ向こうから、馬に大根を付けた春の商人が「大根、大根」と呼びながら来る。時宗はこれをきっと見て、これ幸いの裸馬。値は望みのままにしよう。

馬うまを貸かせ馬うまを貸かせ

馬を貸せ、馬を貸せ。

其その馬うま貸かせよと近寄ちかよれば

その馬を貸せよと近寄れば。

馬子まごも気折きをつて狼藉らうぜきなり

馬子も気を折って、狼藉なとわめく。

商馬あきなひうまに乗のらんずとは、びやくらいならぬならないぞ

「商売の馬に乗ろうとは、びやくらいならぬ、ならないぞ」。

といふ所ところを引ひつかんで七八間しちはちけん、エイヤと人礫ひとつぶて、手綱たづなおつとりひらりと打乗うちのり、手頃てごろの大根だいこん千里せんりの鞭むち

と言うところを引っ掴んで七八間、えいやと人を礫のように投げ飛ばす。手綱を取ってひらりと打ち乗り、手頃の大根を千里を駆ける鞭として。

すぐに行ゆけば五十丁ごじつちやう

まっすぐ行けば五十丁。

廻まはらば三里さんり三みケの庄しやう、宇佐美うさみ久津美くつみ河津かはづが次男じなん

回れば三里の三ケの庄。宇佐美・久津美・河津——その河津の次男。

曽我そがの五郎ごらう時宗ときむねが曲馬きよくばの程ほどを、これを見みよ

曽我の五郎時宗が曲乗りのほどを、これを見よ。

と工藤くどうが館やかたへ急いそぎしは、ゆゆしかりける次第しだいなり

と、工藤の館へ急いだ有様は、いかにも勇ましい次第であった。

詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方〔合〕の指示は省いた。資料の題名は『矢の根五郎』。

歌舞伎十八番の一つ「矢の根」による。曽我五郎時致が正月に矢の根を磨き、夢の告げを受けて大根売りの馬に乗り兄の危急へ駆けつけるまでを運ぶ。

「ふとのつと」は太祝詞。恵方に向かって祝詞を唱えること。

冒頭は「父の仇とは倶に天を戴かず」の「天」に、天櫃・和合楽・寿福円満といっためでたい語を言い掛ける。正月の曲らしい詞の運びで、意味よりも語呂で連ねている。

「養由」は中国春秋時代の楚の弓の名手、養由基。「鎮西八郎為朝」「源三位頼政」はいずれも弓の名手として知られる。

「虎と見て石に」は、虎と見誤って射た矢が石に立ったという李広の故事。以下は正月の食べ物と道具の名を地口で連ねた言い立てで、語呂で運ぶため逐語には訳しにくい。おおよその意を取って訳した。

「一寸の鮒に昆布の魂」は「一寸の虫にも五分の魂」の地口。「祐経節汁」は仇敵の名に節汁を掛ける。

「毛抜」「文福茶釜」など、道具の名にも当時の狂言の題名が響く。

七福神への悪態のあと、『論語』の顔回の条(一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り)と、肘を曲げて枕とする条を引いて、貧に安んじる心に転じる。

「大薩摩主膳太夫」は大薩摩節の太夫の名。年始の礼にまわる役として登場する。

宝船の絵に添える回文歌は「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音のよきかな」。上から読んでも下から読んでも同じになる。

「邯鄲の枕」は、眠るあいだに一生の栄華を夢に見たという故事。ここは砥石を枕にすることをそう言いなす。

「どぶつ」「びやくらい」「気折つて」は語義が定かでないため原典のままとした。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。