由縁の暦歌ゆかりのこよみうた
清元 福森亭宇助 述(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

おさんと茂兵衛の話による一曲(原典の目次に括弧書きで「おさん茂兵衛」とある)。題の「暦」のとおり、柱暦・危日・かのえ申・きのえ子・事始め・姫始め・八十八夜・黒日・知死期・恵方・万よしと、暦の言葉を恋の筋に織り込む。おさんから縁切りの文を受けた茂兵衛は、関の孫六を手におさんを尋ね、角太郎に惚れたと言われて斬りかかる。こぼれた書き置きから、おさんは茂兵衛の難儀となった曼陀羅を取り返すために心にもない愛想づかしをし、茂兵衛の手にかかって死ぬつもりだったと知れる。二人は地蔵尊を念じて桜が馬場で死のうとするが、船頭佐吉が駆けつけて、曼陀羅は取り戻した、二人とも添われると告げ、「由縁の末ぞ目出度けれ」と結ぶ。めでたく結ぶが、刃傷と心中の間際を含む曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。
あらすじ
おさんと茂兵衛の仲は誠を立て通すものだったが、柱暦の紙が破れるように、浅からぬ契りも今は縁切りの文となった。茂兵衛は関の孫六を寝刃に合わせ、おさんの行方を尋ね、おさんもまた人目を忍んで夜道を行く。暦の吉凶にかけて、事始め・姫始めの日とは引き換えて今は命も滅ぶ日。黒日の暗い夜、雲の切れ間の月の下で二人は行き逢う。親方からの縁切りの文を責める茂兵衛に、おさんは本当に角太郎に惚れたと言い、茂兵衛は抜く手も見せず斬りかかる。こぼれ落ちた書き置きを読めば、茂兵衛の難儀となった曼陀羅を取り返すため、心にもない愛想づかしをし、茂兵衛の手にかかって死ぬ覚悟だったと知れる。人殺しの身となって生きてはいられぬと茂兵衛も覚悟を決め、二人は女房への義理も世の噂も捨てて冥土の旅へ。地蔵尊を念じながら、夏の涼み舟で逢いはじめた日、起請や入れぼくろ、「茂兵衛命」の掛け香を思い出し、桜が馬場で散ろうとしたそのとき、船頭佐吉が駆けつけ、おさんの文のおかげで才三の盗んだ曼陀羅は喜蔵の手に入った、二人とも添われると告げる。今日の知死期は引き換えて恵方の万よし、縁の末こそめでたけれ。
詞章と現代語訳
おさん茂兵衛が中々は〔合〕実と誠を立て通す、柱暦も紙破れて
おさんと茂兵衛の仲は、真実と誠を立て通すもの。柱暦も紙が破れて——
やぶれかぶれとなる鐘も、たしか上野か浅からぬ〔合〕契も今は切文に〔合〕はや気もせきの業物を、心のねたば其の人の〔合〕行方尋ねて相惚れと
破れかぶれに鳴る鐘も、たしか上野か浅草か。浅からぬ契りも今は縁切りの文となり、はや気もせいて、関の名刀を寝刃に合わせ、心の妬みのままに、相惚れのその人の行方を尋ねる。
おさんも同じ濡羽鳥〔合〕
おさんも同じく、濡れ羽の鳥。
塒を出でゝしよんぼりと、世を秋雨の傘も〔合〕人目しのんであやぶ日、夫れも何故のきさりを、不義ぢやのなんの〔合〕かのへ申〔合〕
塒を出てしょんぼりと、世を飽きた秋雨に傘をさし、人目を忍んで危ぶむ日——危日。それも何ゆえのことか、不義じゃの何のと、かのえ申。
けふはあしたのきのへ子と、知らでかはせし事始め
今日は明日のきのえ子と、知らずに交わした事始め。
その姫初め引かへて、今は命もほろぶ日、日も長かれと願ふたる〔合〕
その姫始めとは引き換えて、今は命も滅ぶ日。日も長くあれと願ったのに——
八十八夜は及びなき、年は十九と二十五を、名残の霜と見あぐれば〔合〕空はくろ日の暗き夜に、互の心すれ違ふ、雲の脚さへ行逢ふて〔合〕恋路の闇に迷ふ身の、はれて嬉しき月の顔
八十八夜までは及びもつかない。年は十九と二十五の厄年を、別れの霜と見上げれば、空は黒日の暗い夜に、互いの心はすれ違う。雲の足さえ行き逢って、恋路の闇に迷う身に、晴れて嬉しい月の顔。
ヤアおさんか
やあ、おさんか。
茂兵衛さんか
茂兵衛さんか。
エヽおのれはなアおのれはなア、角太郎が方へ失ると親方からのアノ切文、今更さうして済まうと思ふか
ええ、おのれはなあ、おのれはなあ。角太郎のところへ行くと、親方からよこしたあの縁切りの文。今さらそれで済むと思うか。
サア済まぬと言ふて、私や真実角太郎さんに
さあ、済まぬと言ったところで、わたしは本当に角太郎さんに——
いよいよ惚れて失る気か
いよいよ惚れて行く気か。
アイ知れた事いな
あい、知れたことですわいな。
心変りを聞くよりも、茂兵衛はせきに関の孫六、抜く手も見せずアイ思ひ知れよと言ふ間もしらは〔合〕
心変わりを聞くやいなや、茂兵衛はせき立って関の孫六、抜く手も見せず、思い知れよと言う間もなく白刃がひらめく。
此方は覚悟の心届いて落散る書置、目も月明り取あぐるを、やらじととめる女気も、かよはき腕の蔦かつら、尽ぬ縁のよみおくり
こちらは覚悟の心が通じて、こぼれ落ちる書き置き。月明かりに目をとめて取り上げるのを、読ませまいと止める女心も、かよわい腕は蔦かずら。尽きない縁で読み送る。
スリヤ此の書置にあるを見れば、此の茂兵衛が難儀となつたる、曼陀羅をとり返さんため、心にもないアノ切文、愛想づかしを言つたのも、此の茂兵衛が手にかゝり
すりゃ、この書き置きにあるのを見れば、この茂兵衛が難儀となった曼陀羅を取り返すため、心にもないあの縁切りの文。愛想づかしを言ったのも、この茂兵衛の手にかかって——
死ぬる心でござんすわいなア
死ぬつもりでございましたわいなあ。
其の心底を聞く上は、茂兵衛とても生て居られぬ人殺し
その心の底を聞いたうえは、この茂兵衛とても生きてはいられない、人殺しの身。
そんなら一所に死んで下さんすか
それなら、一緒に死んでくださいますか。
女房へ義理も世の噂も
女房への義理も、世間の噂も、
捨てゝ冥土の旅の空
捨てて冥土の旅の空。
おさん仕度しや
おさん、支度をしや。
アイ
あい。
『奇妙頂礼地蔵尊〔合〕あくしゆに出現したまひて、衆生の済度をなしたまふ、なまいだなまいだ
〽奇妙頂礼地蔵尊、悪趣に出現したまいて、衆生の済度をなしたまう、なまいだ、なまいだ。
南無と覚悟はしながらも、又もや愚痴をくる数珠の、玉もおさんが気にかゝる〔合〕お内儀さんへ言訳も、夏の半の涼み舟〔合〕縁の橋間で逢ひ初て〔合〕外のお客は何のその、秋の七草ならねども〔合〕
南無と覚悟はしながらも、またしても愚痴を繰る数珠の玉——おさんは気にかかる。おかみさんへの言い訳も。夏の半ばの涼み舟、縁の橋の間で逢いはじめ、ほかのお客は何のその。秋の七草ではないけれど、
花の色香とそやされて、惚れた証拠の言ひがゝり〔合〕きかぬ起請も取り替し、恋にうきみを入黒子〔合〕茂兵衛命と掛香も、夫れさへ消えて仇し野の、露となる身ぢやないかいな〔合〕
花の色香ともてはやされ、惚れた証拠の言いがかり。効かない起請も取り交わし、恋に浮き身をやつして入れぼくろ、「茂兵衛命」の掛け香も、それさえ消えて、あだし野の露となる身じゃないかいな。
只何事も堪忍と、流石茂兵衛も倶涙、弱る心を取直し、互に覚悟の桜が馬場、既に散り行く其の所へ
ただ何事も堪忍してと、さすがの茂兵衛ももらい泣き。弱る心を取り直し、互いに覚悟の桜が馬場、すでに散ってゆこうとするところへ、
船頭佐吉は駆け来り
船頭の佐吉が駆けつけて、
お二人ながら死ぬには及ばぬ、おさんさまの切文で、才三が盗んだ曼陀羅は、喜蔵様の手に入りましたぞ
お二人とも死ぬには及びませぬ。おさんさまの文のおかげで、才三が盗んだ曼陀羅は、喜蔵さまの手に入りましたぞ。
スリヤ宝は手に入つたか
すりゃ、宝は手に入ったか。
何も彼も埒が明いて、お二人ともに添はれまするぞ
何もかも片がついて、お二人とも添われますぞ。
エヽ忝けない
ええ、かたじけない。
今日の知死後をひきかへて〔合〕時を恵方のよろづよく、おさん茂兵衛が暦歌、由縁の末ぞ目出度けれ
今日の知死期とは引き換えて、時は恵方の万よし。おさん茂兵衛の暦歌、縁の末こそめでたけれ。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の目次に括弧書きで「おさん茂兵衛」とある。原典に「福森亭宇助述」とある。浄瑠璃『大経師昔暦』のおさん茂兵衛の名を借り、題の「暦」にちなむが、筋は別で、ここでは茂兵衛に女房があり、おさんは客を取る身として描かれる。
暦の言葉を恋の筋に掛ける。「あやぶ日」は危日、「かのへ申」は庚申、「きのへ子」は甲子、「ほろぶ日」は滅日、「くろ日」は黒日(凶日)、「知死後」は知死期、「よろづよく」は万よし(暦の吉日)。「十九と二十五」は女と男の厄年。「八十八夜」「名残の霜」は別れ霜。
原典の長い行は、読みやすさのため読点や合方の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。「心変りを聞くよりも」の行と「花の色香と」の行を、それぞれ二段にした。
台詞の話し手は原典に記されていない。呼びかけと受け答えから、茂兵衛・おさん・船頭佐吉の詞を見分けて訳した。「其の心底を聞く上は、茂兵衛とても生て居られぬ人殺し」から、斬りつけたおさんが深手を負ったとも読めるが、結びでは二人とも助かって添われることになる。
人名「角太郎」「佐吉」「才三」「喜蔵」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。「曼陀羅」は紛失した家の宝の名と見られるが、どの狂言によるかは確かめられない。「関の孫六」は名刀の名で、「気もせき」に掛ける。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「たしか上野か浅からぬ」(上野・浅草の鐘に浅からぬを掛けたと見た)、「濡羽鳥」、「何故のきさりを」、「抜く手も見せずアイ思ひ知れよ」の「アイ」、「縁の橋間」、「よみおくり」。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(おのれはなア/\→おのれはなアおのれはなア、いよ/\、なまいだ/\)。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
当ライブラリの清元「浮名の立額」も、宝を取り返すための心にもない縁切りの文(愛想づかし)と、刃傷・心中の覚悟という似た筋立てで、「恋路の闇に迷ふ身の」という句も両曲に出る。
原典の用字「失る」「生て」「尽ぬ」「知死後」はそのまま残した。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。