権下ごんげ
清元 本名題『其小唄夢廓』(そのこうたゆめもよしわら)の下の巻 福森亭宇助 述(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

白井権八と三浦屋の小紫の話による一曲の下の巻(原典の目次に括弧書きで「小紫権八」とある)。上の巻「権上」で夢に見た鈴の森の刑場の、その前の廓の一場にあたる。春の夜、爪琴と尺八を合わせながら、権八は白柄とやらが小紫の相方になったと聞いてすねている。痴話げんかは正月尽くしの言い合いになり、権八は大黒舞をもじって女郎の手練をなじり、小紫は万歳をもじって「相惚れの誠の色」と返し、年季が明けたら女房になる楽しみもないと泣く。権八はつれなくしたのは小紫を巻き込むまいためと明かし、悪事を重ねて仲間の訴えを恐れる身、いつか見た夢が正夢になると語る。二人は立ち退くと決め、小紫の鏡台の前で権八は若衆の前髪を剃り落とす。結びは「比翼塚、後の浮名や残るらん」。二人の行く末(処刑と後追い)を響かせる曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。
あらすじ
間夫も客も里の呼び名、嘘と誠を分けるだけのこと。梅に鶯のような三浦屋の小紫が爪琴をかき鳴らし、恋慕流しの権八が尺八を合わせても、権八は一夜限りかと気にかかって、煙草盆を引き合い顔をそむける。聞けば、さっき白柄とやらが小紫の相方になったという。小紫は勘ぐりだと言い返し、権八は大黒舞をもじって「女郎の誠と玉子の四角」と手練をなじる。小紫も万歳をもじって「水ももらさぬ相惚れの誠の色」と返し、情けは売っても心は売らない苦界の誠、年季が明けたら女房と呼ばれる楽しみもないと、畳を叩いて泣く。権八は、つれなくしたのはそなたを憂き目にあわせまいためと明かす。金の工面に悪事を重ね、仲間の本目丈八が心変わりして訴え出れば、いつか見た夢が正夢となって刑罰にあう身。愛想が尽きたか、さらばと言う権八に、小紫は死ぬも生きるもかねての約束と取りすがる。二人は立ち退くと決め、人目に立つ前髪の姿を変えるため、小紫の鏡台の前で権八は前髪を涙で揉んで剃り落とす。鏡に映る男姿の面影を見交わす袖も、やがては比翼塚、後の世に浮名が残ることだろう。
詞章と現代語訳
間夫と言ふも〔合〕里の名〔合〕客と言ふも里の名、嘘と誠の分隔て
間夫というのも里の呼び名、客というのも里の呼び名。嘘と誠を分け隔てるだけのこと。
それも鳴く音の黄鳥も〔合〕梅に三浦の小紫、粹な由縁と我ながら、わがつま琴とかき鳴す、
それも鳴く音の鶯——梅に鶯の取り合わせのように、三浦屋の小紫。粋な縁と我ながら思いつつ、わが夫の爪琴とかき鳴らす。
思のたけの尺八も〔合〕恋慕流は権八が〔合〕一ト夜切とは気にかゝり、
思いのたけを吹く尺八も、恋慕流しの権八は、一夜限りのことかと気にかかり、
又黄鍾の調子とて、合せられても春の夜の〔合〕夢もさながら合の手に、強て見せたる瘤柳、煙る柳の煙草盆、互に引合ひ顔反向け、身を反向けたる風見草
また黄鐘の調子に合わせられても、春の夜の夢さながら、合いの手に、わざと見せたふくれっ面の瘤柳。煙る柳の煙草盆を互いに引き合い、顔をそむけ、身をそむける風見草——柳のような二人。
コレイナア権八さん、最前までも今までも、機嫌ようして居ながら、何故にマア其の様に
これいなあ権八さん、さっきまでも今までも、機嫌よくしていながら、なぜまあ、そのように——
腹が立たいで何とせう、最前白柄とやらが相方になつたとの事
腹が立たずにどうしよう。さっき白柄とやらが相方になったとのこと。
アレマアそんな廻り気ばつかり
あれまあ、そんな勘ぐりばっかり。
コリヤぬかし居るなヱヽおのれはなア
こりゃ、よくもぬかしおるな。ええ、おのれはなあ。
人の心と飛鳥川、今日の今まで其の様な、うつり心の紐鏡、冷い心は
人の心は飛鳥川の淵瀬のように変わるもの。今日の今までそのような移り気の紐鏡——冷たい心は——
オヽ夫れよ〔合〕女郎の誠と玉子の四角、泣いて〔合〕だまして綾なして、嘘つきそめて正月か、
おお、それよ。女郎の誠と玉子の四角、あるはずがない。泣いてだまして、うまくあしらって、嘘のつき初めで正月か。
男をかける輪飾は〔合〕よくとく棚の恵方から、ちく大黒が御座つた〔合〕踊もつて御座つた、口から出ほう大黒舞、
男を引っかける輪飾りは、欲得の年徳棚の恵方から、ちく大黒がござった、踊りを持ってござった。口から出放題の大黒舞。
天てれん女郎の能には、一に〔合〕たはけの文まくら〔合〕二に二世かけた張もなく、三にさながら仇惚の、欲大黒を見さいな
手練の女郎の芸はというと、一に、たわけた文を枕に、二に、二世をかけた意気地もなく、三に、まるで浮気の惚れよう。欲の大黒を見なされ。
さう言んすりやこちからも、それが男の徳若に、御全盛とてわしに逆ひましんます〔合〕客立帰る旦より、水ももらさず〔合〕相惚の、誠の色にてさふらひける
そうおっしゃるなら、こちらからも。それが男の徳若に御全盛とて、わたしに逆らいましんます。客の立ち帰る朝から、水ももらさぬ相惚れの、誠の色でございました。
それに其の様な胴欲な〔合〕若水臭い強言葉、辛い勤の其の内に〔合〕情は売れど心まで〔合〕売らぬ私が苦界の誠、
それなのに、そのようなむごい、水くさい強い言葉。つらい勤めのうちにも、情けは売っても心までは売らない、それがわたしの苦界の誠。
縁にひかれて破魔弓の、やがて廓の年あけて〔合〕名も呼び変へておかもじと、楽しむ甲斐も七草と、畳たゝいて泣く涙、目も春雨にそめぬらん
縁に引かれて、破魔弓を引くように。やがて廓の年季が明けたら、名も呼び変えて「おかもじ」(奥さま)と呼ばれるのを楽しみにしていた甲斐もないと、七草を叩くように畳を叩いて泣く涙。目も春雨に濡れそめたことであろう。
オヽ其の親切は忝けないが、最前よりつれない仕なしは、縁にひかれてそなたを憂目にあはせまいため
おお、その親切はかたじけないが、さっきからつれないそぶりをしたのは、縁に引かれてそなたをつらい目にあわせまいためだ。
エそりや何と言はしやんす
え、それは何とおっしゃいます。
サア仔細あつて多くの金子調達せねばならぬ権八、身を捨てこそ浮む瀬と、心に思はぬ悪事のさまざま、同類の本目丈八が心変り、若しも彼奴めに訴人されなば、いつぞや見しが正夢にて、刑罪にあふは知れた事
さあ、わけあって多くの金を工面しなければならない権八。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあると、心にもない悪事をさまざま重ねた。仲間の本目丈八が心変わりし、もしあやつに訴え出られたなら、いつか見た夢が正夢となって、刑罰にあうのは知れたこと。
エヽそんならせんどの夢が正夢で
ええ、それでは先ごろの夢が正夢で——
愛想がつきたか、小紫さらばぢや
愛想が尽きたか。小紫、さらばじゃ。
アヽモシ何の斯うなつたら、死ぬるも生るもかねての約束
ああもし、なんの、こうなったら、死ぬも生きるもかねての約束。
スリヤ立退なら一所に行か
すりゃ、立ち退くなら一緒に行くか。
サア立退までもお前のまへふり、人目にたてば何卒まア
さあ、立ち退くにしても、お前さんのその前髪の姿では人目に立つから、どうかまあ——
如何さま姿でも変へ、逃かくるゝと世の嘲弄も、望のかなふまでの辛棒
いかにも、姿でも変えて。逃げ隠れすると世間に笑われようと、望みのかなうまでの辛抱。
そんなら得心して下さんすか
それでは、承知してくださいますか。
如何にも
いかにも。
嬉しう御座んす、幸ひこゝに此の鏡台、千筋と撫でし前髪も
嬉しゅうございます。ちょうどここにこの鏡台。千筋もと撫でてきた前髪も——
剃らねばならぬ男なり
剃らねばならない男の身なり。
胸の鏡もかき曇る、涙に櫛笥とり添て
胸の鏡もかき曇る涙に、櫛箱を取り添えて、
心の内の乱れ髪
心のうちの乱れ髪。
結ひ直してあぎやうないなア
結い直して——あぎょうないなあ。
散ればこそ、身に降り積る花吹雪〔合〕儚き縁の合せ砥に、斯かる思ひの〔合〕あらうとは〔合〕
散ればこそ、身に降り積もる花吹雪。はかない縁の合わせ砥に、こんな思いがあろうとは——
神ならぬ身の権八が、祝ふて落す前髪を、涙で揉んで剃落す、向ふ鏡に小紫〔合〕男なりせし面影を、見かはす袖も比翼塚、後の浮名や残るらん残るらん
神ならぬ身の権八が、祝って落とすはずの前髪を、涙で揉んで剃り落とす。向かいの鏡に小紫、男の姿になった面影を見交わす袖も、いずれは比翼塚。後の世に浮名が残ることであろう、残ることであろう。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の資料の題名は『其小唄夢廓』で、ここに収めるのはその下の巻(原典の見出しは「権下」)。原典の目次に括弧書きで「小紫権八」とある。原典に「福森亭宇助述」とある。上の巻は当ライブラリの清元「権上」。上の巻の鈴の森の刑場が「南柯の一夢」で覚め、この巻で「いつぞや見しが正夢にて」「せんどの夢が正夢で」と受けている。
同じ白井権八と小紫を描く別の清元に、当ライブラリの「時鳥霽間の雲色」がある(廓を抜けた小紫が落ちのびる権八に追いつく道行)。
原典の長い行は、読みやすさのため読点や合方の切れ目で段に分けた(字句は同じ)。「それも鳴く音の」の行を三段、「オヽ夫れよ」の行を三段、「それに其の様な」の行を二段、「散ればこそ」の行を二段にした。
台詞の話し手は原典に記されていない。呼びかけと受け答えから、権八と小紫の詞を見分けて訳した。
「一に〔合〕たはけの文まくら、二に二世かけた…、三に…」は大黒舞の「一に俵ふまえて、二ににつこり笑うて」の数え唄を、「徳若に御全盛とて…ましんます」「さふらひける」は万歳の「徳若に御万歳と…栄えましんます」の口調をもじったものと見た。輪飾・恵方・若水・破魔弓・七草と正月の詞を連ねる。「女郎の誠と玉子の四角」は俗諺で、当ライブラリの長唄「吉原雀」にも出る。「よくとく棚」は年徳棚に欲得を、「口から出ほう」は出放題を掛けると見た。
「風見草」は柳の異名。「瘤柳」は瘤のある柳に、ふくれっ面を掛けたと見た。「黄鍾」は雅楽の調子の名(黄鐘)。「おかもじ」は女房・奥様の意の女房詞と見た。「比翼塚」は、処刑された権八の墓の前で小紫が自害し、二人を葬ったとされる目黒の塚。
人名「本目丈八」は読みが確かめられないので、ふりがなを付けていない。「白柄」は白柄組の者を指すと見たが、確かめられない。
語義を定めがたい箇所は原典のまま残した。「ちく大黒」、「天てれん」(手練の意と見て訳した)、「わしに逆ひましんます」、「お前のまへふり」(前髪の若衆姿の意と見て訳した)、「あぎやうないなア」。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(さま/゛\→さまざま、残るらん/\→残るらん残るらん)。
原典の用字「粹」「言んす」「忝けない」「逃かくるゝ」「辛棒」「生る」はそのまま残した。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。