権上ごんじょう
清元 本名題『其小唄夢廓』(そのこうたゆめもよしわら)の上の巻 福森亭宇助 述(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

白井権八と三浦屋の小紫の話による一曲の上の巻(原典の目次に括弧書きで「小紫権八」とある)。因幡の浪人権八は、吉原通いの金のために罪を重ね、縄目にかかって鈴の森の刑場へ引かれてゆく。浅黄桜に夕嵐、派手な廓通いとは引き換えた道中に、権八は見物へ向かって身の懺悔と若い人への教訓を述べる。そこへ廓を抜けた小紫が駆けつけ、警護の役人の情けで別れの水盃を交わし、題目を唱える。ところが結びは「是なん南柯の一夢にて、眠りの夢は覚めにけり」で、刑場の一部始終は夢であったと明かされる。夢の結びとはいえ、処刑の場を正面から描く曲なので、席によっては扱いに心を配りたい。
あらすじ
栄える人もひと盛り、花もひととき。明日は白井権八の身の果ても、思いもよらぬ罪科に引かれて、かつての廓の通い路を、派手な姿とは引き換えて縄目にかかって行く。浅黄桜に夕嵐、大木戸を過ぎ、品川を過ぎて鮫洲へ。権八は大勢の見物に向かって懺悔する。生まれは因幡、若気の短慮で人を殺め、東へ下って色里へ通い、蓄えが尽きて盗みを重ねた。若い人は色と欲とに身を滅ぼすな、業の秤、浄玻璃の鏡に映る罪科と、今さら思い当たった、と。いよいよ鈴の森の刑場というとき、廓を抜けた小紫が駆けつけ、せめて別れの水盃をと願う。情けある役人がしばしの猶予を許し、二人は嬉し涙に手桶の水を汲み交わし、柄杓の柄のように縁長かれとあの世を頼んで、題目を唱える。あの世の雲と紫とが、縄を切って剣の山へ——と思えば、それは南柯の一夢、眠りの夢は覚めたのだった。
詞章と現代語訳
『栄へゆく〔合〕人一トさかり花一時、翌は白井が身の果も、思案の外の罪〔合〕科に〔合〕
栄えてゆく人のひと盛り、花もひととき。明日は白井権八の身の果ても、思いもよらぬ罪科に——
ひかれ廓の通い路、派手な姿に引換えて、今日は哀れにちりかゝる、浅黄桜と夕嵐、ひまゆく駒の道も早、かゝる縄目に大木戸の、色故にこそ命さへ
引かれて通った廓の通い路。派手な姿とは引き換えて、今日は哀れに散りかかる浅黄桜に夕嵐。月日の過ぎゆく駒の歩みも早く、縄目にかかって大木戸を過ぎる。色ゆえにこそ、命さえ——
逢ひた見たさは飛立つ許り、籠の鳥かや恨めしや〔合〕
〽逢いたさ見たさは飛び立つばかり、籠の鳥かや、恨めしや。
これも由縁の紫と、二人が中を世にうたふ、色品川はかはれども、今日ぞ鮫津の無常音、駒をとゞめて
これも縁の紫と、二人の仲を世に唄う。色の品川とは変わって、今日こそは鮫洲の無常の音。駒をとどめて——
斯く数万の御見物へ我身の懺悔、生れ故郷は因幡の国、跡先思はぬ若気の短慮、義に因つて人を害し、はるばる下りし此の吾妻路、不図色里へ通ひ初め、しげしげ行ば浪人の貯尽き、盗み取つたる金故に、我と苦しむ此の身の罪、
こうして大勢のご見物へ、わが身の懺悔。生まれ故郷は因幡の国、あと先考えぬ若気の短慮で、義のために人を殺め、はるばる下ったこの東路。ふと色里へ通いはじめ、足しげく通ううちに浪人の蓄えも尽き、盗み取った金のために、自ら苦しむこの身の罪。
若いお方は取分て、見る程のこと羨しく、つい思ひつく不了見、色と欲とに身を果す、此の身の見せしめ業晒、劫の秤や浄瑠璃の、鏡に写る罪科と、今更思ひ当りました
若いお方はとりわけ、見るものすべてが羨ましく、つい思いつく心得違い。色と欲とに身を滅ぼす、この身は見せしめの恥さらし。業の秤や浄玻璃の鏡に映る罪科と、今さら思い当たりました。
われと悔みの教訓も、心の駒の急がれて〔合〕爰ぞ名に古る鈴の森、最期場さして来る折しも
自ら悔いての教訓も、心の駒に急かされて、ここぞ名に古りた鈴の森。最期の場をさして来るちょうどそのとき——
廓を抜て小紫、裾もほらほら駆け来り
廓を抜け出た小紫が、裾もはらはらと乱して駆けて来る。
ヤア権八さん、まだ死ずに居て下さんしたか
やあ権八さん、まだ生きていてくださいましたか。
ヤそちや小紫、扨は此の権八に
や、そちは小紫。さてはこの権八に——
サア此の世で一ト目逢ひたさに、廓を駆落して来たわいな
さあ、この世でひと目逢いたさに、廓を駆け落ちして来ましたわいな。
未練には似たれども、せめて別れの水杯、最期の折は何事も、一つの願は叶ふとある、何卒暫の御許と
未練に似てはおりますが、せめて別れの水盃を。最期の折には、何事もひとつの願いは叶うと申します。どうか、しばしのお許しを——と、
涙と共に願ふにぞ
涙とともに願うので、
情ある警護の役人、如何様暫時の猶予は免して呉れん
情けある警護の役人、「いかにも、しばしの猶予は許してやろう」。
エヽ有難う御座りまする
ええ、ありがとうございまする。
嬉し涙に取すがり〔合〕手桶の水を汲替す〔合〕柄杓の縁長かれと〔合〕あの世を頼む〔合〕
嬉し涙に取りすがり、手桶の水を汲み交わす。柄杓の柄のように縁も長かれと、あの世を頼む。
南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
妙法蓮華今日の今〔合〕あの世の雲と紫が、縛縄切つて剣の山、すぐに白井が修羅道も、是なん南柯の一夢にて、眠りの夢は覚めにけり
妙法蓮華、今日の今。あの世の雲と紫とが、いましめの縄を切って剣の山へ——そのまま白井の修羅道へと思えば、これこそ南柯の一夢で、眠りの夢は覚めたのであった。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第三編 清元集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。繰り返し記号は直前の語句を繰り返すものとして展開したが、どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。
原典の資料の題名は『其小唄夢廓』で、ここに収めるのはその上の巻(原典の見出しは「権上」)。原典の目次に括弧書きで「小紫権八」とある。原典に「福森亭宇助述」とある。下の巻は当ライブラリの清元「権下」で、そちらで権八が「いつぞや見しが正夢にて」と、この巻の夢を受ける。
同じ白井権八と小紫を描く別の清元に、当ライブラリの「時鳥霽間の雲色」がある(廓を抜けた小紫が落ちのびる権八に追いつく道行)。
原典の長い一行(「斯く数万の御見物へ」から「今更思ひ当りました」まで)は、読みやすさのため「此の身の罪、」の切れ目で二段に分けた(字句は同じ)。
話の筋は、因幡の浪人白井権八(平井権八がモデルとされる)が吉原三浦屋の小紫に通いつめ、辻斬り強盗を重ねて鈴ヶ森で処刑されたという巷説による。曲中の「鮫津」は鮫洲、「鈴の森」は鈴ヶ森の刑場。
「劫の秤」は業の秤、「浄瑠璃の鏡」は閻魔の庁の浄玻璃の鏡を、語り物の浄瑠璃に掛けた言い方と見た。「柄杓の縁長かれ」は柄杓の柄と縁(えにし)を掛ける。「南柯の一夢」は、夢の中の栄華がはかなく覚める故事。
語義や読みを定めがたい箇所は原典のまま残した。「無常音」(無常の鐘の音の意と見た。「音」の読みを定めがたいので、ふりがなは「無常」だけに付けた)、「縛縄」(いましめの縄と見て「いましめなは」と振ったが、読みは確かめられない)。
繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した(はる/゛\→はるばる、しげ/\→しげしげ、ほら/\→ほらほら、南無妙法蓮華経/\→南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経)。
原典の用字「栄へ」「通い路」「引換えて」「行ば」「写る」「免して」はそのまま残した。「ほらほら」は裾の乱れるさまと見て「はらはら」と訳した。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。