旅寝の小蝶たびねのこちょう
荻江節 作詞者・作曲者・初演年不詳

道のべの柳蔭に旅枕を取る場から起こし、妻の行方を尋ねてさまよう姿を蝶の妹背事に重ねる。中ほどは伊勢路の道行で、関の小万・与作・鏡山と語り込み、鈴鹿馬子唄の「坂は照る照る鈴鹿は曇る」を取り入れて駒の鈴の音に転じる。後半は櫓幕・引幕・揚幕・金屏・陣幕・五色の幕と幕の名を綴り、吉野の花見幕から葉桜へ納める、名寄せの賑やかな一曲。『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。
あらすじ
道のべに清水流るる柳蔭。しばしとてこそ旅枕。夢おどろかす鳥の声々。何々、我が妻の行方を知らすか、うれしやと、さまよう姿は狂気とも。三重、四重、五重、七重、八重。花の故郷にひとりかも寝ん。恋し、ゆかしさ。褄の跡を慕うて来る来る、しゃんと袱紗帯。結んだり解いたり、蝶の妹背事。うらやましげにうち眺め、蝶、小蝶。しおらし縫う蝶、我も焦がるる。恋すてふ君に、青葉、青葉と行きもがな。知らぬ山路や里越えて。旅は道連れ、世は情け。恋の盛りの小娘は宿で一番の名取草。よいこの、よいこの、よい顔よ。一夜も二夜も泊まらんせと袖を引く、褄を引く。お慰みなら肴ほど引く、夜もすがら。関の小万は亀山通い。与作思えば照る日も曇る鏡山。いざ立ち寄りて櫛笥、鏡台。化粧顔、褄に見しょとて紅、鉄漿つけ。春はござれよ、神路山。行くも帰るも伊達な出立ちの、三宝荒神。駒も勇むや鈴の音色も、染め分け手綱、面白の一節。坂は照る照る、鈴鹿は曇る。あの土山、雨が降る降る。袖振る、鈴振る。天津乙女の舞の曲にもまさりし舞の面白や、鈴の音。さっさ時雨か蝉時雨、濡れていとわじ夏衣、菅笠と。女房は新しいのがよいと皆おっしゃんすけれど、わたしは粋じゃもの。里の夜桜、灯籠の月見、初雪積もる楽しさ。神楽月、まず新しき櫓幕。うれしいやら、心いそいそ、手を引く引幕の。女連れ、贔屓組じゃと名も上げ幕の、内ぞゆかしき金屏の。祭の幕のにぎやかさ。波のうねうね船の幕。それかあらぬか、菊、桐、紫の幕。勝どき上がる陣幕も。花を飾りて五色の幕は眺めなりけり。梅の東風吹かば、吉野の花見幕。春はさぞなん、今は葉桜。
詞章と現代語訳
道のべにしみづ流る柳蔭しばしとてこそ旅まくら
道のべに清水流るる柳蔭。しばしとてこそ——旅枕。
夢おどろかす
夢おどろかす。
鳥の声声何々わがつまのゆくゑをしらすかうれしやとさまよふ姿は狂気とも三重四重五重七重八え
鳥の声々。何々、我が妻の行方を知らすか、うれしやと、さまよう姿は狂気とも。三重、四重、五重、七重、八重。
花の故郷にひとりかもねん
花の故郷に、ひとりかも寝ん。
恋しゆかしさつまの跡をしたふてくるくるしやんとふくさ帯
恋し、ゆかしさ。褄の跡を慕うて来る来る、しゃんと袱紗帯。
むすんだりとひたりてふのいもせごと
結んだり解いたり、蝶の妹背事。
うらやましげにうちながめ蝶こてふ
うらやましげにうち眺め、蝶、小蝶。
しほらしぬふてふわれもこがるゝ恋すてふ君にあを葉あを葉と行もがな
しおらし——縫う蝶、我も焦がるる。「恋すてふ」君に、青葉、青葉と行きもがな。
しらぬ山路や里越へて
知らぬ山路や、里越えて。
旅は道づれ世は情恋のさかりの小娘はしゆくで一ばん名とり草よいこのよいこのよいかほよ花色ならばヘ一夜も二夜もとまらんせと袖をひく褄をひく
旅は道連れ、世は情け。恋の盛りの小娘は、宿で一番の名取草。よいこの、よいこの、よい顔よ。花色ならば、へ——一夜も二夜も泊まらんせと、袖を引く、褄を引く。
おなぐさみならさかなほどひく夜もすがら夜もすがらおうさてのふ
お慰みなら、肴ほど引く。夜もすがら、夜もすがら。おう、さてのう。
関の小まんは亀山通ひおう扨のふ
関の小万は亀山通い。おう、さてのう。
与作思へばてる日も曇る鏡山
与作思えば、照る日も曇る鏡山。
いざ立よりてくしげ鏡台化粧がほつまに見しよとてべにかねつけ
いざ立ち寄りて、櫛笥、鏡台。化粧顔、褄に見しょとて、紅、鉄漿つけ。
春はござれよ
春はござれよ。
かみじ山
神路山。
ゆくもかへるも伊達な出立の
行くも帰るも、伊達な出立ちの。
三宝荒神
三宝荒神。
駒もいさむや鈴の音色も染わけ手綱面白の一ふし
駒も勇むや、鈴の音色も染め分け手綱。面白の一節。
坂はてるてる
坂は照る照る。
鈴鹿は曇るへ
鈴鹿は曇る、へ。
あのいのつち山雨が降る降る
あの「いの」土山、雨が降る降る。
袖ふる鈴ふる
袖振る、鈴振る。
天津乙女の舞の曲にもまさりし舞の面白や鈴の音
天津乙女の舞の曲にもまさりし舞の面白や、鈴の音。
さつさ時雨か蝉時雨濡ていとはじ夏衣
さっさ時雨か、蝉時雨。濡れていとわじ、夏衣。
すげ笠と
菅笠と。
女房は新のがよいと皆おしやんすけれど古わたしはすいじやもの里の夜ざくらとうろうの月見初雪つもるたのしさかこはれてからきふねこはがるうはきがちなるともじ様
「女房は新しいのがよい」と皆おっしゃんすけれど——古い、わたしは粋じゃもの。里の夜桜、灯籠の月見、初雪積もる楽しさ。「かこはれてからきふねこはがる」、浮気がちなる「ともじ」様。
かぐら月まづ新しきやぐらまく嬉しいやら心いそいそ手を引幕の
神楽月。まず新しき櫓幕。うれしいやら、心いそいそ、手を引き——引幕の。
女づれひいきぐみじやと名もあげ幕の内ぞゆかしき金屏の
女連れ、贔屓組じゃと名も上げ幕の、内ぞゆかしき金屏の。
祭の幕のにぎやかさ
祭の幕のにぎやかさ。
波のうねうね船の幕
波のうねうね、船の幕。
それかあらぬか菊桐紫の幕
それかあらぬか、菊、桐、紫の幕。
勝どき上る陣幕も
勝どき上がる陣幕も。
花を飾りて五色の幕は詠なりけり梅の東風ふかば吉野の花見幕
花を飾りて五色の幕は、眺めなりけり。梅の東風吹かば、吉野の花見幕。
春は嘸なん今は葉ざくら
春はさぞなん、今は葉桜。
この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、章句の記号は原典のまま段の頭に残し、繰り返し記号は読みやすく展開した。
「道のべに清水流るる柳蔭」は西行の「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集)による。原典はその下句を「旅まくら」に変えている。
「ひとりかもねん」は「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」(拾遺集)による。「恋すてふ」は壬生忠見の「恋すてふわが名はまだき立ちにけり」(拾遺集)による。
「関の小まん」「与作」は浄瑠璃『恋女房染分手綱』の登場人物。関の小万と馬方与作で、鈴鹿の関のあたりを舞台とする。
「坂はてるてる鈴鹿は曇る、あの土山雨が降る降る」は鈴鹿馬子唄。原典の繰り返し記号は「坂はてる/\」「雨が降/\」の形で、馬子唄の文句にならって「照る照る」「降る降る」と展開した。
「三宝荒神」は馬の背に三人が乗ること。荒神が三面あることによる。「かみじ山」は神路山、伊勢神宮の内宮の背後の山。
後半は幕の名を綴る。櫓幕・引幕・揚げ幕・金屏風・祭の幕・船の幕・陣幕・五色の幕・花見幕。「あげ幕」は花道の出入口に張る幕。
「名とり草」は萩の異名だが、ここは評判を取ることに掛ける。「かぐら月」は神楽月、陰暦十一月。
語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「あのいのつち山」(馬子唄の「あいの土山」にあたるが原典の字のまま置いた)、「花色ならばヘ」「鈴鹿は曇るヘ」の「ヘ」(囃子の字かと見られる)、「かこはれてからきふねこはがる」、「うはきがちなるともじ様」。
「女房は新のがよい…わたしはすいじや」と「もの里の夜ざくら」は原典で行が分かれるが、「すいじやもの/里の夜ざくら」と続けて読めるため一段にまとめた。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。