藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
荻江

新そでずきんしんそでずきん

荻江節  作詞者・作曲者・初演年不詳

新そでずきん 雪夜の袖頭巾
雪夜の袖頭巾

人目を忍ぶ袖頭巾で通ってくる女郎衆と、その相手をめぐる痴話。帰ると言い出す気っ風のよさ、逢えばどうしてこうしてと言い交わす睦言、眠い目を擦る情けなさ——風に柳のしおたれた末、酒が取り持つ笑い顔で口舌も白けてゆく、という小品。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。

あらすじ

人目を忍ぶの袖頭巾。浮気も今や、ほんに——鳴り土手をしっぽり、雪の鷺。ただひとり通ってくるどこやらの女郎衆は、可愛い男を待つわいな。好かぬこちらの仕草では、もはやご新造に住みやらぬ。さらばわれらは帰りましょう——ならんぞえ。さりとは男気な。逢えばどうして、こうしてと、よすがも。眠い目を擦る、情けないほどいや増さる。こちらの心はそうじゃないものを、去なしはせぬ。風に柳のしおたれて、酒が取り持つ笑い顔。口舌も白けた、その顔を照らす月の顔。

詞章と現代語訳

〔三下り〕

ひとめしのぶの、そでづきん

人目を忍ぶの、袖頭巾。

〔モツ〕

うはきもいまやほんに、なりどてをしつぽりゆきのさぎ、たゞひとりかよひくるどこやらの女郎衆ぢよらうしゆは、かはいをとこまつわいな

浮気も今や、ほんに——「なり土手」をしっぽり、雪の鷺。ただひとり通ってくる、どこやらの女郎衆は、可愛い男を待つわいな。

すかぬこちらがしこなしは、もはやごしんにすめやらぬ、さらばわれらはかへりましよ、ならんぞヘ、さりとはおとこぎな

好かぬこちらの仕草では、もはやご新造に住みやらぬ。さらばわれらは帰りましょう——ならんぞえ。さりとは男気な。

あはゞどふしてこふしてと、よすがも

逢えばどうして、こうしてと、よすがも。

ねむいめをしらす、なさけないほどいやまさる、こちのこころはそふじやないものを、いなしやせぬ

眠い目を擦る、情けないほどいや増さる。こちらの心はそうじゃないものを、去なしはせぬ。

かぜやなぎのしほたれて、さけがとりもつわらひがほ、くぜつしらけしつきのかほ

風に柳のしおたれて、酒が取り持つ笑い顔。口舌も白けた——その顔を照らす、月の顔。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、章句の記号は原典のまま段の頭に残し、合方の指示は省いた。

原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。

「袖頭巾」は袖で顔を隠すように頭からかぶる被り物。人目を忍ぶ姿である。曲名の「新」は、先行する同名の曲に対する新作の意と見られる。

「ご新造」は町家の若い妻、また廓では新造(若い遊女)をいう。「去なす」は帰らせること。

「口舌」は痴話げんか。酒が取り持って笑いに変わり、口舌も白けて終わる——という納め方である。

語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「なりどてをしつぽりゆきのさぎ」の切れ方、「よすがも」の係り。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。