藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
荻江

川柳二つの竹かはやなぎふたつのたけ

荻江節  作詞者・作曲者・初演年不詳

川柳二つの竹 水に揉まるる川柳
水に揉まるる川柳

謡曲『放下僧』による。親の敵を討つために放下僧に身をやつした者の物語で、前半は妻を失い子を残して旅立つ嘆きを、真赭の薄・真葛が原の風に寄せて綴る。中ほどは案内を乞う問答となり、敵は猛勢、我はただ一人と述懐する。後半は花の都の名所づくしから「川柳は水に揉まるる」の小歌に転じ、しだり柳・ふくら雀・都の牛・茶臼と続けて、小切子は放下に揉まるると結ぶ。曲名の「二つの竹」は放下僧が打ち鳴らす小切子の二本の竹。『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。

あらすじ

いとどさえ、憂き人もがな。我はまた、胸に迫りし数々を、言うに言はま——岩間の苔清水。水に絵を描ぐ空事も、人はそれぞと夕月夜。「花が見たくば吉野へござれ」。今は吉野の花も散り果て、我が妻の儚き姿。いとど思いは真赭の薄。乱れ乱るる我が心、上の空なるこの胸に、真葛が原の風誘う。誘うも辛し、振り捨てて。後に残りし可愛や小菊、垂乳親恋し。いざ引き連れて参ろ、祭見に参ろ。「いかに、案内申し候」「誰にてわたり候」「放下僧にて候。我らが親の敵候が、敵は猛勢、それがしはただ一人。思うに甲斐なく月日を送り候」。おもしろの花の都や、筆に書くとも尽きせじ。東には祇園、清水。落ち来る滝の音羽の嵐に、地主の桜は散り散り。西は法輪、嵯峨の御寺。回らば回れ、水車の輪。川柳は水に揉まるる。しだり柳は風に揉まるる。ふくら雀は竹に揉まるる。都の牛は車に揉まるる。茶臼は挽き木に揉まるる。げに、まこと、忘れたりとよ。小切子は放下に揉まるる。小切子の二つの竹に、代々を重ねて行く道は、見る目も何と思い川。しづ心なきその風情、理りなりとぞ知られける。

詞章と現代語訳

〔ツヾミウタ〕〔吉次〕

いとゞさヘ〔ギンモツ〕うきひともがなわれはまた〔二ノギン〕むねにせまりしかずかずを。いふにいはまのこけしみづ。〔ゴサイガカリ〕みづに。〔合〕ゑをかぐ〔ギンガハリ〕そらごとも。ひとはそれぞと。〔合〕ゆふづきよ〔ヒヤウシ〕〔此間藤蔵せりふ〕はな

いとどさえ、憂き人もがな。我はまた、胸に迫りし数々を、言うに言はま——岩間の苔清水。水に絵を描ぐ空事も、人はそれぞと夕月夜。「花が——」

たくばよしのへござれ

「見たくば吉野へござれ」。

〔歌〕

いまはよしのの〔中ギン〕はなもちりはてわがつまの〔合〕〔カン〕はかなきすがたるかげにいとゞ〔ギン〕おもひは〔三ノ上〕ますほのすゝき〔合〕〔ヒヤウシ〕みだれみだるゝわがこゝろうはのそらなるこのむねに〔合〕〔ニノギン〕まくづがはらのかぜさそふ。〔アタル〕さそふもつらし〔フシヲトシ〕ふりすてゝ〔合〕〔三ノギン〕あとにのこりしかわいや〔ギンアタル〕こぎくたらちおこひしゆめにだに思ひあふてふいざ引つれてまいろまいろまつりにまいろいやゝ〔合〕いのふとも〔三ノギン〕もどろともなにともそなたのおんはからひと〔アタル〕いふてはこごしにとりついた

今は吉野の花も散り果て、我が妻の儚き姿、見る影に。いとど思いは真赭の薄。乱れ乱るる我が心、上の空なるこの胸に、真葛が原の風誘う。誘うも辛し、振り捨てて。後に残りし可愛や小菊、垂乳親恋し。夢にだに思い逢うてふ。いざ引き連れて参ろ、参ろ、祭見に参ろ。いやや——「往のう」とも「戻ろ」とも、何とも、そなたの御計らいと言うては、小腰に取りついた。

〔藤蔵〕

いかにあんないまうしさふらふ

「いかに、案内申し候」。

〔沢蔵〕

たれにてわたりさふらふ

「誰にてわたり候」。

〔藤〕

ほうかぞうにてさふらふたゞいままいる事よのぎにあらずわれらがおやのかたきさふらふがかたきはまうぜいそれがしはたゞひとりおもふにかひなく月日つきひをおくりさふらふつきのためにはうきぐものたねと心やなりぬらん

「放下僧にて候。ただ今参ること、余の儀にあらず。我らが親の敵候が、敵は猛勢、それがしはただ一人。思うに甲斐なく月日を送り候。月のためには浮雲の種と、心やなりぬらん」。

〔歌〕

おもしろのはなのみやこや〔合〕ふでにかくともつきせじ〔合〕〔三ノギン〕ひがしにはぎをんきよみづをちくるたきの〔二ノギン〕おとはのあらしにぢしゆのさぐらは〔モツギン〕ちりぢり〔合〕〔ヲスギンガハリ〕にしはほうりんさがのおんてら〔合〕まはらばまわれ〔ヒヤウシ〕〔ヒロヒ〕みづぐるまのわのりせんせきのかはなみ〔合〕かはやなぎは〔ハル〕みづにもまるゝしだりやなぎはかぜにもまるゝ〔合〕ふくらすゞめは〔合〕たけにもまるゝ〔合〕〔ハシル〕みやこのうしはくるまにもまるゝちやうすはひきゞにもまるゝ

おもしろの花の都や。筆に書くとも尽きせじ。東には祇園、清水。落ち来る滝の音羽の嵐に、地主の桜は散り散り。西は法輪、嵯峨の御寺。回らば回れ、水車の輪。「のりせんせき」の川波。川柳は水に揉まるる。しだり柳は風に揉まるる。ふくら雀は竹に揉まるる。都の牛は車に揉まるる。茶臼は挽き木に揉まるる。

〔吉次ウタイ〕

げにまこと。〔ナヲス〕わすれたりとよ〔ヒヤウシ〕こきりこは〔合〕ほうかにもまるゝこきりのふたつのたけ代々よゝをかさねてよゝをかさねてゆくみちは〔合〕〔三重力ゝリ〕るめもなにとおもひがは〔合〕〔ヒロヒ〕しづごころなきそのふぜいことわりなりとぞしられける

げに、まこと。忘れたりとよ。小切子は放下に揉まるる。小切子の二つの竹に、代々を重ねて、世々を重ねて行く道は、見る目も何と思い川。しづ心なきその風情、理りなりとぞ知られける。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、章句・合方の記号は原典のまま段の頭や途中に残し、繰り返し記号は読みやすく展開した。

原典は総かな書きの部分が多いため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。

謡曲『放下僧』による。親の敵を討つために兄弟が放下僧(放下に身をやつした僧)となる話で、「川柳は水に揉まるる」以下の小歌もその曲中のもの。

「こきりこ」は小切子。短い二本の竹を打ち鳴らす放下僧の楽器で、曲名の「二つの竹」はこれを言う。

「いはまのこけしみづ」は西行の「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな」による。前を「言ふに言はず」と受けて言い掛ける。

「ますほのすゝき」は真赭の薄。歌学の秘伝に説かれた薄で、思いの乱れに掛ける。「まくづがはら」は真葛が原、京都東山の地名。

「みづに絵をかぐ」は水に絵を描くように甲斐のないこと。

段の頭の〔吉次〕〔藤蔵〕〔沢蔵〕は原典のままで、演者の受け持ちを示すものと見られる。

語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「たらちお」、「のりせんせき」、「ひきゞ」(挽き木かと見られる)。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。