藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
常磐津

山姥やまんば

常磐津  本名題『薪荷雪間の市川』  別題『新山姥』『市川山姥』  作詞者・作曲者・初演年不詳

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山姥 足柄山の松引き抜き
足柄山の松引き抜き

足柄山。山賤に身をやつした武士が、山中に住む山姥と怪童丸の母子に出会う。四季の山めぐりを語ったのち、怪童丸が松を根こぎにして力を見せ、坂田金時と名乗ることを許される。母子の別れを経て、猪熊入道の一味を蹴散らして結ぶ。

あらすじ

四面が峨々とそびえる足柄山。麓に通う椎が本、巌に染まる蔦かずら。主君の命を受けた武士が、曲げた肱を枕に一瓢の楽しみ、その眠りを覚ます山颪。山は高く、雲は行く人の跡を埋める。命を受けてこのごろは、こうして山賤に姿を変え、深山幽谷をいとわず、行き当たりばったりの気ままな酒。眠気覚ましにどりゃ一杯やるべいか——量りもなく注ぐ盃に映るのは星の影。ああ怪しや、客星がここに。わが盃の中に影が差すのは、さてはひとかどの人傑がこの山中にあるという天の知らせか。ははあ、これで読めた。心当たりは山住みの女が連れる、いつもの子蔵よ。どりゃ一服喫んで待つべいか。錦の袂を引きかえて、木の葉衣を露霜に染めて明けるという山姥が、岩間の苔清水のほとりを、心細い道をたどりたどり、杖を力に歩んで来る。おお母さま、今日はまだお会いしませぬの。おお山賤のよき蔵どの、また焚火のご馳走をしましょうわいのう。それはかたじけない、ときに子蔵はどうしましたな。さればいの、あとの麓まで連れ立って来ましたが、大方は猪や猿を相手に相撲でも取っておりましょうわいな。それは危ない、早くここへ呼ばっせえ。あれあれご覧じませ、あのように大きな石を持ち遊んで、怪我でもしたらどうしようと思やるぞ。道草にも程がある、こりゃ怪童丸——おおう。神楽月とて片山里を、笛や太鼓で面白や。子をとろ子をとろ、籠の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に——と唄いながら、木の根笹原をくぐりくぐって、ひょいと出た稚児。母を慕って山道を尋ね来て、木咲の梅の花。かか、おらこんな花を折って来たよ。花を打とうと振り立てる、悪戯盛りの愛らしさ。やれ子蔵、よく帰って来たな。さあさあ、いつもの通り小父さまへお辞儀じゃ。かか様、何ぞくだされや。おとなしく遊んでおいでだったその褒美に、この間から衣を織って着せようと思うてな——五百機立てる窓の内、枝の鶯、糸繰り綿繰り、織って着せる母の心づくし。里へ下れば里の土産はでんでん太鼓に振り鼓。打つや空蝉の唐衣、千声万声の砧に合わす鼓の拍子。さあこれからが馬事じゃ。どれどれ、俺の好物を貸してやろう、この鉞を馬にして。母が囃してやりましょう。月毛ならぬ斧の駒、取るや手綱の凛々しさよ。先のけ先のけ。お月さまいくつ、十三七つ。お供はいくつ、八十八つ。ほんにそりゃ若いなあ。母の胎内を蹴破って、産所も産湯も山なれば、取り上げの婆にも事を欠き、産湯の代わりに四方の赤を浴びせられたか、どこもかも真っ赤になって——と踊りの口説き。かか様、乳呑もう。乳呑みたいと足摺りするのは頑是ない子の習いか。ではこれから、いつもの山めぐりの話をして聞かせましょうぞや。昔語りも恥ずかしい、ありし姿もどこへやら。瀧に髪を洗い、若葉を見ては春を知り、妻恋う鹿の音を聞いて秋と思い、深山路を明日も明日もと山めぐり。四季の眺めもいろいろに——浮き立つ空の弥生山、桃が笑えば桜がひぞる、柳は風の応えよう。誰を待つやら小手招く。霞の帯の辛気らしさ、締めて手と手の盆踊り。梶の葉に露の玉章を書きそめて、焦がれて濡らす袖の梅、つい誑されて室咲きの梅の暦もいち早く。門に松が立てば雛も出るかと思ううちに時鳥、菖蒲を葺く間に盆の月、待宵を過ぎて菊の宴、はや祝月の里神楽——ほんに忙しい浮世も我も、白雪積もる山めぐり。ほほう、このごろより心をつけて窺うところ、さては柔弱非力を悔やんで横死を遂げた坂田の蔵人の妻子が、この山中に籠もると聞いたが、もしや二人は。いかにも、その坂田の家を起こさんと山神へ祈誓をかけ、そうしてもうけたこの怪童。さてこそわが推量に違わず、時行の妻子であったな。それにしても女に稀なるその志。その丹誠に山神の加護、倅の勇力もさぞあろう。力の程が見たい。こりゃ怪童、大切なところじゃ負けまいぞ。神変不思議の怪童丸、こちらもあしらう勇力の士。怪童はいらだって傍らの松を根こぎに引き抜き、にっこり笑って立った姿は、人も恐れるばかりである。松の根こぎとは面白い、さあ打って来い怪童丸。打ちかかれば身をかわし、すかさず強気の力瘤。幹より腕の節くれ立つほどしっかと掴めば、めりめりと。えんやえんやと捻り合ううち、中からやっと捻り切って左右へ分かれて立った姿は、目覚ましいことであった。ほお、力の程は見えた。今からは頼光公の家臣とし、父の家名をそのままに坂田の金時と名乗らせよう、喜べ。ははあ、有難や、かたじけなや。こりゃ怪童、今日から坂田の金時という武士になるのじゃが嬉しいかや。そんなら俺は武士になるのか、嬉しい嬉しい。さりながら今別れれば、この母にもう逢うことはならぬぞや。夫の形見と見るにつけ、そなたの大事さ大切さ。今日別れれば今宵より、母は独り寝の閨の内、さぞ面影が懐かしかろう。頼光公へのご奉公、務める暇の明け暮れに武術を励み立身せよ。かならず人さまに山姥が子と笑われな。今別れるともこの母が、そなたの影身に付き添うて、なお行く末を守るであろう——とは言うものの、これがまあ名残惜しや、いとおしやと抱き上げ抱きつき、思わずわっと上げた一声が木霊に響いて哀れである。こうしては果てじと怪童丸、お頼み申すはこのとおり、名残は尽きじ、早おさらば。暇を申して帰る山の峰の梢も白妙は、源氏の栄えの尽きることなく、守る神垣は妄執の雲の塵が積もって山姥となった。山また山に山めぐりして、行方も知れなくなったのであった。かかるところへ猪熊入道が手勢を引き連れて馳せ来たり、怪童丸を見るより——正盛公の上意を受け、汝を味方に抱えようと出かけて見れば、さてこそ源氏へ引き取られたな。知れたことだ、怪童丸はたった今、頼光公へ推挙した。奉公始めにこいつらを引き括って君へのお土産だ、怪童ぬかるな。さあ弱虫奴ら、みな一度に来い。何を猪口才な、者ども、それ——やらぬと組みつく手の者を、一度に掴んで礫のように投げる。かつ色を見せる金時が、真っ先にかける冬至梅。一陽来復の智勇の花、歌舞伎の栄えこそめでたい。

詞章と現代語訳

四面しめん峨々ががたる足柄山あしがらやま、麓ふもとにかよふ椎しひが本もと、巌いはほに染そまる蔦つたかづら、君命くんめいうけて壮夫ますらをが

四面が峨々とそびえる足柄山。麓に通う椎が本、巌に染まる蔦かずら。主君の命を受けた武士が。

曲まがれる肱ひぢの高枕たかまくら、実げに一瓢いつぺうの楽たのしみの、眠ねむりを覚さます山颪やまおろし

曲げた肱を枕の高枕。まことに一瓢の楽しみよ。その眠りを覚ます山颪。

山やま高たかうして雲くも行客かうかくの跡あとを埋うづむ、君命くんめいうけて此この日頃ひごろ、斯かく山賤やまがつと態すがたを変かへ、深山幽谷しんざんいうこく嫌きらひなく、往ゆくなり次第しだいの気儘酒きままざけ、眠ねむた覚ざましにドリヤ一杯いつぱいやるべいか

山は高く、雲は行く人の跡を埋める。主君の命を受けてこのごろは、こうして山賤に姿を変え、深山幽谷をいとわず、行き当たりばったりの気ままな酒。眠気覚ましに、どりゃ一杯やるべいか。

酒さけ量はかりなきなき盃杯さかづきに、注つげばうつらふ星ほしの影かげ

酒は量りもなく、その盃に注げば映るのは星の影。

アアラ怪あやしやナア、客星かくせい爰ここにたんたくなし、我わが盃中はいちうに影かげさすは、さては一定いちぢやう人傑じんけつの、此この山中さんちうに有あるといふ、天てんの知しらせか何なににもせよ奇異きいなる事ことを見みる物ものぢやナア、ハハアこれでよめた、心当こころあたりは山住やまずみの、女をんながつれるいつもの子蔵こぞう、ドリヤ一服いつぷく喫のんで待まつべいか

「ああら怪しやなあ。客星がここに。わが盃の中に影が差すのは、さてはひとかどの人傑がこの山中にあるという天の知らせか。何にもせよ奇異なことを見るものじゃなあ。ははあ、これで読めた。心当たりは山住みの女が連れる、いつもの子蔵よ。どりゃ一服喫んで待つべいか」

錦にしきの袂たもと引ひき変かへて、木この葉衣はごろもを露霜つゆしもに、染そめてあけろの山姥やまんばと、人ひとや岩間いはまの苔清水こけしみづ、心細道こころほそみちたどたどと、杖つゑに力ちからに歩あゆみくる

錦の袂を引きかえて、木の葉衣を露霜に染めて明けるという——人は山姥と呼ぶ。岩間の苔清水のほとりを、心細い道をたどりたどり、杖を力に歩んで来る。

ヲヲ阿母かか今日けふはまだ逢あひませぬの

「おお母さま、今日はまだお会いしませぬの」

ヲヲ山賤やまがつのよき蔵殿ざうどのまた焚火たきびの御馳走ごちそうしませうわいのう

「おお、山賤のよき蔵どの。また焚火のご馳走をしましょうわいのう」

夫それは恭謝かたじけねへ、ときに子蔵こぞうはどうしましたな

「それはかたじけねえ。ときに子蔵はどうしましたな」

さればいの、あとの麓ふもとまで連立つれだつて来きましたが、大方おほかた猪ゐのしし猿さるを相手あひてに、相撲すまふがなとつて居ゐませうわいな

「さればいの。あとの麓まで連れ立って来ましたが、大方は猪や猿を相手に相撲でも取っておりましょうわいな」

それは危あぶない早はやく爰ここへ呼よばつせへよばつせへ

「それは危ない。早くここへ呼ばっせえ、呼ばっせえ」

ほんにマアおとましい事ことではあるぞいのう

「ほんにまあ、気の揉めることではあるぞいのう」

アアおとましとかこち言ごと、夫それと見付みつけて

ああ、気が揉めるとかこつ言葉。それと見つけて。

あれあれ御覧ごらんじませ、あのやうき大おほきな石いしを持もちあそんで、怪我けがでもしたらどうせうと思おもやるぞ、道草みちくさも程ほどがある、コリヤ快童丸くわいどうまるかいどうまるヤイ

「あれあれご覧じませ。あのように大きな石を持ち遊んで、怪我でもしたらどうしようと思やるぞ。道草にも程がある。こりゃ怪童丸、怪童丸、やい」

ヲヲオ

「おおう」

神楽月かぐらづきとて片山里かたやまざとを、笛ふえや太鼓たいこで面白おもしろや、足あしの冷つめたいに草履ざうり買かうてたもれ、子こをとろこをとろ、どの子こが目めつきあとの子こが目めつき、籠こめこめ籠かごの中なかの鳥とりはいついつ出でやる、夜明よあけのばんに、つるつるつるつつはいた、木きの根ね笹原ささはらくぐりくぐつて、ひよいと出でた稚子ちご

神楽月とて片山里を、笛や太鼓で面白や。足が冷たいに草履買うてたもれ。子をとろ子をとろ、どの子が目つき、あとの子が目つき。籠め籠め、籠の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩に——と唄いながら、木の根笹原をくぐりくぐって、ひょいと出た稚児よ。

コレコレ怪童くわいどう早はやうおぢやいのふ

「これこれ怪童、早うおいでいのう」

アイ

「あい」

母ははを慕したふて山道やまみちを、尋たづね木咲きさきの梅うめの花はなよき

母を慕って山道を尋ね来て、木に咲く梅の花のよきことよ。

かかおら斯麼こんな花はな折をつて来きたよ

「かか、おらこんな花を折って来たよ」

花はなうちせうと振ふりたてて悪戯いたづら盛ざかりの愛あいらしき

花を打とうと振り立てる、悪戯盛りの愛らしさよ。

ヤレ子蔵こぞうよく帰かへつて来きたな

「やれ子蔵、よく帰って来たな」

ヲヲよふ戻もどつておぢやつたのう、サアサアいつもの通とほり、小父様をぢさまへお辞儀じぎぢやお辞儀じぎぢや

「おお、よう戻っておいでだったのう。さあさあ、いつもの通り小父さまへお辞儀じゃ、お辞儀じゃ」

ヲヲお辞儀じぎがよく出来できましたかな

「おお、お辞儀がよくできましたかな」

かか様さま何なにぞ下くだされや

「かか様、何ぞくだされや」

温順おとなしう遊あそんでおぢやつた其その褒美はうびに、此間このあひだからあつかの衣きぬ織おりて著きせうと思おもふてな、山路やまぢ廻まはらぬ其その閑ひまに、五百機いほはた立たてる窓まどの内うち、枝えだの黄鳥うぐひす糸繰いとくり綿繰わたくり織おりて著きせたる母ははの奔走子ほんそうご、里さとへ下くだれば里さとの土産みやげはでんでん太鼓だいこにふり鼓つづみ、打うつや空蝉うつせみのから衣ごろも、千声万声せんせいばんせいの砧きぬたに合あはす鼓つづみの拍子ひやうし

「おとなしく遊んでおいでだった、その褒美に、この間から衣を織って着せようと思うてな」——山路をめぐらぬその暇に、五百機を立てる窓の内。枝の鶯、糸繰り綿繰り、織って着せる母の心づくし。里へ下れば里の土産はでんでん太鼓に振り鼓。打つや空蝉の唐衣、千声万声の砧に合わせる鼓の拍子。

面白おもしろや

面白や。

サア是これからが馬事うまごとぢやうまごとぢや

「さあ、これからが馬事じゃ、馬事じゃ」

ドレドレ俺おれが好物かうぶつを貸かしてやらう、此この鉞刀まさかりを馬うまにして

「どれどれ、俺の好物を貸してやろう。この鉞を馬にして」

母ははが囃はやしてやりませう

「母が囃してやりましょう」

月毛つきげにあらぬ斧をのの駒こま、とるや手綱たづなの凛々りりしげに

月毛ならぬ斧の駒。取るや手綱の凛々しさよ。

先さきのけさきのけ先さきのけろ

「先のけ、先のけ、先のけろ」

お月つき様さまいくつ

「お月さまいくつ」

十三じふさん七ななつ

「十三七つ」

お供ともはいくつ

「お供はいくつ」

八十やそ八やつつ

「八十八つ」

ほんにそりや若わかいなア

「ほんに、そりゃ若いなあ」

母ははの胎内たいない蹴破けやぶつて

母の胎内を蹴破って。

産所さんじよも産湯うぶゆも山やまなれば、取上とりあげお婆ばばに事ことを欠かき、産湯うぶゆの替かはりに四方よもの赤あか、浴あびせられたかどつこもかも、真赤まつかくなつて北嵯峨きたさがの、踊をどりのくどきは

産所も産湯も山なれば、取り上げの婆にも事を欠き、産湯の代わりに四方の赤を浴びせられたか。どこもかも真っ赤になって——北嵯峨の踊りの口説きは。

何なんと言いうた

「何と言うた」

おらが在所ざいしよはな、奥山おくやまのててうちのでんぐりでんぐり、栗くりの木きの根ねを枕まくらに御座ござれ抱だいて転寐うたたね

「おらが在所はな、奥山のててうちのでんぐりでんぐり。栗の木の根を枕にござれ、抱いて転た寝」

かか様さま乳ち呑のまう

「かか様、乳呑もう」

乳ち呑のみたいと足摺あしずりは頑是ぐわんぜなき子この習ならひかや

乳を呑みたいと足摺りするのは、頑是ない子の習いであろうか。

コレハしたりどうしたもの、サアサア是これからまたいつもの山廻やままはりの話はなしをして聞きかせませうぞや

「これはしたり、どうしたもの。さあさあ、これからまたいつもの山めぐりの話をして聞かせましょうぞや」

なに山廻やままはりの話はなし

「なに、山めぐりの話」

コイツは面白おもしろからうはへ

「こいつは面白かろうわい」

何なんのいなア昔語むかしがたりも恥はづかしいありし姿すがたも何処どこへやら、むめうの瀧たきに髪かみ洗あらひ、若葉わかばを見みては春はるを知しり、妻つま恋こふ鹿しかの音ねを聞ききて、秋あきと思おもふて深山路みやまぢをあしたあしたの山廻やままはり

「何のいなあ、昔語りも恥ずかしい。ありし姿もどこへやら」——瀧に髪を洗い、若葉を見ては春を知り、妻恋う鹿の音を聞いて秋と思い、深山路を明日も明日もと山めぐり。

よしあし曳びきの山廻やままはり

よしあし引きの山めぐり。

四季しきの詠ながめもいろいろに

四季の眺めもいろいろに。

浮立うきたつ空そらの弥生山やよひやま、桃ももが笑わらへば桜さくらがひぞる、柳やなぎは風かぜの応様いらへやう

浮き立つ空の弥生山。桃が笑えば桜がひねる。柳は風への応えよう。

誰たれを待まつやら小手こて招まねく

誰を待つやら、小手をあげて招く。

霞かすみの帯おびの辛気しんきらし、締しめて手てと手ての盆踊ぼんをどり

霞の帯の辛気らしさ。それを締めて、手と手の盆踊り。

七個ななこの池いけに移気うつりぎの、うらみ過すごしの梶かぢの葉はは、露つゆの玉章たまづさ落初おちそめて

七個の池に移り気の、恨み過ごしの梶の葉は、露の玉章が落ちそめて。

焦こがれて濡ぬらす袖そでの梅うめ、つい誑たぶらされて室咲むろざきの

焦がれて濡らす袖の梅。つい誑かされて、室咲きの。

梅うめの暦こよみもいち早はやく

梅の暦もいち早く。

門かどに松まつたちやナンナつひ雛ひなも、出でるかと思おもへば沓手鳥ほととぎす、菖蒲しやうぶ葺ふく間まに盆ぼんの月つき、待宵まつよひ過すぎて菊きくの宴えん、はや祝月いはひづき里神楽さとかぐら、ほんにほんに忙いそがしき浮世うきよも我われも、白雪しらゆき積つもる山廻やままはりやままはり

門に松が立てば、そのうち雛も出るかと思えば時鳥。菖蒲を葺く間に盆の月。待宵を過ぎて菊の宴。はや祝月の里神楽。ほんにほんに、忙しい浮世も我も——白雪積もる山めぐり、山めぐり。

ホホウ此程このほどより心こころを付つけて窺うかがふところ、扨さては柔弱にうじやく非力ひりきを悔くやみ、横死わうしを遂とげし坂田さかたの蔵人くらんどが妻つま倅せがれ、此この山中さんちうに籠こもると聞ききしが若もしや二人ふたりは

「ほほう、このごろより心をつけて窺うところ——さては柔弱非力を悔やんで横死を遂げた坂田の蔵人の妻子が、この山中に籠もると聞いたが、もしや二人は」

いかにも其その坂田さかたの家いへを起おこさんと山神さんじんへ祈誓きせいを懸かけ、則すなはちもうけし此この快童くわいどう

「いかにも。その坂田の家を起こそうと山神へ祈誓をかけ、そうしてもうけたのがこの怪童」

さてこそ我わが推量すゐりやうに違たがはず時行ときゆきが妻つま倅せがれよな、さるにても女をんなに稀まれなる志衷しちう、その丹誠たんせいに山神さんじんの加護かご倅せがれが勇力ゆうりき嘸さぞあらん、力ちからの程ほどがみたいみたい

「さてこそ、わが推量に違わず時行の妻子であったな。それにしても女に稀なるその志。その丹誠に山神の加護もあろう、倅の勇力もさぞあろう。力の程が見たい、見たい」

おもちれへおもちれへ

「面白れえ、面白れえ」

コレコレ快童くわいどう大切たいせつの所ところぢや負まけまいぞ

「これこれ怪童、大切なところじゃ。負けまいぞ」

ヲヲ合点がつてんだ

「おお、合点だ」

神変しんぺん不思議ふしぎの快童丸くわいどうまる、此方こなたあしらふ勇力士ゆうりきし、快童くわいどういらつて傍かたはらなる松まつを根ねこぎに引抜ひきぬき、莞爾につこりと笑わらつて立たちたりしは、人ひとも恐おそるる計ばかりなり

神変不思議の怪童丸。こちらもあしらう勇力の士。怪童はいらだって傍らの松を根こぎに引き抜き、にっこり笑って立った——その姿は、人も恐れるばかりであった。

松まつの根ねこぎ面白おもしろい、サア打うつて来こい快童丸くわいどうまる

「松の根こぎとは面白い。さあ打って来い、怪童丸」

合点がつてんだ

「合点だ」

打うつて掛かかれば身みを換かはし、すかさず強気つよきの力瘤ちからこぶ、幹みきより腕うでの節ふしくれて、しつかと抓つかめばめりめりめり

打ってかかれば身をかわし、すかさず強気の力瘤。幹よりも腕の節が太く盛り上がり、しっかと掴めば、めりめりめりと。

ゑんやゑんやと捻合ねぢあひしが、中なかよりやつと捻切ねぢきつて、左右さいうへ分わかれて立たちたりしは、目覚めざましかりける次第しだいなり

えんやえんやと捻り合ううち、中からやっと捻り切って、左右へ分かれて立った——その姿は目覚ましいことであった。

ホヲ力ちからの程ほどは見みえたみえた、今いまよりしては頼光公らいくわうこうの家臣かしんとなし、父ちちが家名かめいを其儘そのままに、坂田さかたの金時きんときと名乗なのらせん喜よろこべよろこべ

「ほお、力の程は見えた、見えた。今からは頼光公の家臣とし、父の家名をそのままに坂田の金時と名乗らせよう。喜べ、喜べ」

ハハア有難ありがたや恭謝かたじけなや、コリヤ快童くわいどう今日けふから坂田さかたの金時きんときといふ武士ぶしに成なるのぢやが嬉うれしいかや

「ははあ、有難や、かたじけなや。こりゃ怪童、今日から坂田の金時という武士になるのじゃが、嬉しいかや」

そんなら俺おれは武士ぶしに成なるのか嬉うれしいうれしい

「そんなら俺は武士になるのか。嬉しい、嬉しい」

さり乍ながら今いま別わかるれば此この母ははに、もう逢あふ事ことはならぬぞや、コレ快童くわいどう爰ここへおぢや

「さりながら、今別れればこの母にもう逢うことはならぬぞや。これ怪童、ここへおいで」

夫をつとの形見かたみと見みるにつけ、其方そなたの大事だいじさ大切たいせつさ、今日けふ別わかるれば今宵こよひより、母はは独寐ひとりねの閨ねやの内うち、嘸さぞ面影おもかげの懐なつかしかろ、頼光公らいくわうこうへの御奉公ごほうこう、つとむる暇ひまの旦暮あけくれに

夫の形見と見るにつけ、そなたの大事さ大切さ。今日別れれば今宵より、母は独り寝の閨の内、さぞ面影が懐かしかろう。頼光公へのご奉公、それを務める暇の明け暮れに。

武術ぶじゆつを励はげみ立身りつしんせよ、かならずかならず人様ひとさまに

武術を励み、立身せよ。かならず、かならず人さまに。

山姥やまんばが子こと笑わらはれな、今いま別わかるるとも此この母ははが

山姥が子と笑われるな。今別れるとも、この母が。

其方そなたの影身かげみに付添つきそふて、尚なほ行末ゆくすゑを守まもるべし、とは言いふものの是これがマア

そなたの影身に付き添うて、なお行く末を守るであろう——とは言うものの、これがまあ。

名残なごり惜をしやいとおしやと、抱だきあげ抱だきつき、思おもはずわつと一声ひとこゑが、木霊こだまに響ひびきて哀あはれなり

名残惜しや、いとおしやと抱き上げ抱きつき、思わずわっと上げた一声が木霊に響いて哀れである。

斯かくては果はてじと快童丸くわいどうまる、お頼たのみ申まうすは仕様しやう、名残なごりは尽つきじ早はやおさらば

こうしては果てじと怪童丸。「お頼み申すは、このとおり。名残は尽きませぬが、早おさらば」

いとま申まうして帰かへる山やまの

暇を申して帰る、その山の。

峰みねの梢こずゑも白妙しろたへは、源氏げんじの栄さかへ尽つきしなき、まもる神かみがきは妄執まうしふの雲くもの塵ちり積つもつて山姥やまんばとなれり、山やま又また山やまに山廻やままはりして行方ゆくへも知しらずなりにけり

峰の梢も白妙となる——源氏の栄えは尽きることなく、それを守る神垣。だが妄執の雲の塵が積もって山姥となり、山また山に山めぐりして、行方も知れなくなったのであった。

斯かかるところへ猪熊入道ゐのくまにふだう手勢てぜい引連ひきつれ馳はせ来きたり、快童丸くわいどうまるを見みるよりも

かかるところへ猪熊入道が手勢を引き連れて馳せ来たり、怪童丸を見るより。

正盛公まさもりこうの上意じやういを請うけ、汝なんぢを味方みかたにかかへんと、出掛でかけて見みれば三田みたの仕し、扨さてこそ源氏げんじへ引取ひきとつたな

「正盛公の上意を受け、汝を味方に抱えようと出かけて見れば——さてこそ源氏へ引き取られたな」

知しれた事ことだ快童丸くわいどうまるはたつた今いま、頼光公らいくわうこうへ推挙すゐきよしたは、奉公ほうこう始はじめに此奴等こやつらを、引括ひつくくつて君きみへお土産みやげ、快童くわいどうぬかるな

「知れたことだ。怪童丸はたった今、頼光公へ推挙した。奉公始めにこいつらを引き括って君へのお土産だ。怪童、ぬかるな」

サア弱虫よわむし奴めら皆みな一度いちどに来こいこいこい

「さあ弱虫奴ら、みな一度に来い、来い」

何なに猪口才ちよこざいな、者共ものどもそれ

「何を猪口才な。者ども、それ」

やらぬと組付くみつく手ての者ものを、一度いちどにつかんで礫つぶて投なげ、かつ色いろ見みする金時きんときが、真先まつさきかける冬至梅とうじばい、一陽いちやう開ひらく智勇ちゆうの花はな、歌舞伎かぶきの栄さかへぞ目出度めでたけれ

やらぬと組みつく手の者を、一度に掴んで礫のように投げる。かつ色を見せる金時が、真っ先にかける冬至梅——一陽来復に開く智勇の花。歌舞伎の栄えこそめでたい。

この曲は常磐津。詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第四編 常磐津集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。

本名題は『薪荷雪間の市川』。別題を『新山姥』『市川山姥』という。作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。

足柄山の山姥と怪童丸(のちの坂田金時)の話。当ライブラリの長唄『四季の山姥』も同じ山姥ものだが別の曲で、あちらは山姥が遊女八重桐であった昔を語るのが中心、こちらは怪童丸の力比べと母子の別れが眼目になる。

山賤に身をやつしているのは源頼光の家臣。怪童丸の力を見きわめて坂田金時と名乗らせ、頼光の四天王に加える。

「客星」は普段は見えない星。ここでは盃の酒に映る影を、山中の人傑を告げる天の知らせと見る。

「子をとろ子をとろ」「籠の中の鳥はいついつ出やる」はいずれも子どもの遊び唄。怪童丸の登場を子どもらしく彩る。

「お月様いくつ、十三七つ」も童唄。

「五百機立る窓の内」は多くの機を立てて布を織ること。山姥が我が子のために衣を織る。

後半の四季の山めぐりの段は、春の弥生山から梶の葉(七夕)、菖蒲、盆の月、菊の宴、里神楽、そして白雪へと一年をめぐる。

「一陽開く」は一陽来復。冬至を境に陽が戻ることをいい、直前の「冬至梅」を受ける。

次の語は語義が定めがたく、推測で埋めず原典のまま残した。「たんたくなし」「あけろの山姥」「あつかの衣」「奔走子」「四方の赤」「奥山のててうちのでんぐりでんぐり」「むめうの瀧」「よしあし曳」「七個の池」「ナンナつひ雛」「三田の仕」。子どもの唄や囃子詞に由来するものが多いと思われる。

「猪熊入道」「正盛公」は平家方として置かれた役どころ。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。