藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

女太夫おんなだゆう

清元  変化物としての題『七小町容彩四季』(ななこまちすがたのさいしき) 別題『雨乞小町』  福森喜宇助 作(原典の記載による) 作曲者・初演年不詳

女太夫 夕立あがりの縁台の三味線
夕立あがりの縁台の三味線

小町の変化物『七小町容彩四季』のうち、雨乞小町を門付けの女太夫に写した一段。起こしの「ことはりや」と結びの「ありもせめ、さりとては又」は、小野小町の雨乞の歌と伝える「ことわりや日の本ならば照りもせめ、さりとてはまた天が下とは」を踏む。夕立の晴れ間に三味線を取り出す女太夫が、月待ち日待ちの町々を四つ竹で門付けして歩き、上総の相撲取り白藤源太の流行り唄を一人相撲の色事に掛け、口舌の土俵際、酒と肴の気散じ、二上りの上州前橋の忍び逢いの唄とうたって、雨の晴れ間に雲間へ入って行く。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。

あらすじ

賤しい身にも音曲の道はうれしいもの。女太夫と呼ばれ、夕立の晴れ間に三味線を取り出して、月待ち日待ちの町々を四つ竹で門付けして歩く。上総の相撲取り白藤源太の流行り唄をうたい、その白藤ではないが一人相撲の色事、口舌の土俵際で突き出されまいと新手を出して取り組む。酒と肴で六百文、気ままな世の中を気楽に渡る。二上りでは上州前橋の唄——逢いたければ敷島河原の荒砂を紙に包んで、寝間の小窓から撒いて合図をしておくれ。雨はまた晴れて、女太夫は雲間に消えてゆく。

詞章と現代語訳

ことはりや〔合〕賤いやしき身みにも糸竹いとたけの〔合〕道みち嬉うれしくもその名なさへ

もっともなことよ——賤しい身にも糸竹(音曲)の道はうれしく、その名さえ。

女太夫をんなだいふと夕立ゆふだちの、はれまいとふて取とり出だす〔合〕身みは三味線しやみせんの〔合〕かはゆらし

女太夫と呼ばれて、夕立の晴れ間を「いとうて」取り出す——身は三味線の、かわいらしさ。

月待つきまち日待ひまち立待たいまちや、其その町々まちまちを門付かどづけも〔合〕味あじな世渡よわたり四よつ竹だけに

月待ち、日待ち、立待ちと、その町々を門付けして歩くのも、乙な世渡り——四つ竹を鳴らして。

東ひがし上総かづさの市いちみの郡こほり、村むらのこなをばかねおき村むらよ

東上総の「市み」の郡、村の小名をば「かねおき村」よ。

疋田ひきた源平衛げんべゑが総領そうりやう息子むすこ、相撲取すまふとりにて白藤しらふぢ源太げんた、其そのしらふぢにあらねども、一人ひとりすまふを色いろにもちや

疋田源兵衛の総領息子で、相撲取りの白藤源太——その白藤ではないけれど、一人相撲(ひとり住まい)を色事にして。

ほんに口舌くぜつの土俵どへうぎは、突つき出ださりやうと気きがじれて、諸手もゝてどころか新手あらてを出だして、取組とりくんだ日ひは何なんのその

ほんに口舌の土俵際、突き出されようかと気が焦れて、諸手どころか新手を出して取り組んだ日には、何のその。

酒さけと肴さかなで六百ろくひやく出だしや、気きまゝよ我わがまゝのかは世よの中なかを、思おもへば三日みつか忘わすれぬ身みは、気散きさんじじやないかいな、色いろの調子てうしも合あひの手てに

酒と肴で六百文出せば気ままよ、わがまま(のかは)の世の中を。思えば「三日忘れぬ身」は気楽じゃないかいな。色の調子も合の手に。

〔二上り〕

わしにさ逢あひたくば、上州じやうしう前橋まへばし敷しき島が原はらの、小こ砂利じやり交まじりの荒あら砂すなを、持もつて来きて紙かみへ包つゝんで袂たもとへ入いれて、わしがお寝間ねまの三尺さんじやく小窓こまどの小障子こしやうじの間あいだから、姿すがた隠かくしてばらばらと撒まきやれ、やんれ面白おもしろや

わしに、さ、逢いたくば、上州前橋、敷島河原の小砂利まじりの荒砂を持って来て、紙へ包んで袂へ入れて、わしのお寝間の三尺の小窓の、小障子の間から、姿を隠してばらばらと撒きなされ(忍んで来た合図に)。やんれ、面白や。

〔ナヲル〕

かゝちぎりもありもせめ、さりとては又また雨あめ晴はれて、雲間くもま々々に入いりにけり

「かかちぎり」もありもしよう——さりとてはまた、雨は晴れて、(女太夫は)雲間雲間に入って行った。

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次・本文の題名は『雨乞小町(女太夫)』。原典に「作者 福森喜宇助」とある。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した(「市み」「こな」「かねおき」は地名・呼び名と見られるが字を定めがたいので、原典の仮名のまま残した)。

小野小町が神泉苑で雨乞をして「ことわりや日の本ならば照りもせめ、さりとてはまた天が下とは」と詠み、雨を降らせたという伝えを踏む。起こしの「ことはりや」と結びの「ありもせめ、さりとては又雨はれて」がその歌の句取り。女太夫は、編笠をかぶり三味線を弾いて町々を門付けして歩いた女芸人。

「白藤源太」は上総の相撲取りで、流行り唄にうたわれた。「一人すまふ」は一人相撲に一人住まいを掛けたと見られる。「口舌の土俵ぎは」「突き出さりやう」「諸手」「新手」「取組んだ」は相撲の言葉で色事を言う。二上りの「わしに逢ひたくば…荒砂を…窓からばらばらと撒きやれ」は、忍んで来た合図に小窓へ砂を撒けという流行り唄の文句。

繰り返し記号「ばら/\」は「ばらばら」とした。「雲間々々」の「々」は原典のまま残した。

原典の用字「源平衛」(源兵衛の意と見た)、「ことはりや」「あいだ」「かゝちぎり」はそのまま残した。

語義を定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「はれまいとふて」(晴れ間を厭うての意か、晴れ間を問うての意か断じきれない)、「かはゆらし」、「市みの郡」「こな」「かねおき村」、「我まゝのかは」、「三日忘れぬ身」、「かゝちぎり」。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。