藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
清元

吉原雀(清元)よしわらすずめ

清元  本名題『筐花手向橘』(かたみのはなたむけのそでのか)  作詞者・作曲者・初演年不詳

吉原雀(清元) 月夜の竹と寝雀
月夜の竹と寝雀

放生会の鳥売りの趣向で、吉原の廓の風俗を鳥尽くしに描く。「俳優の昔を今に教草、吉原雀の古事をここに写して」と起こし、先人の当り芸だった吉原雀を、清元で写し直したものと断る。放生会の由来から、ひとり寝の片思い、土手八丁を通う客とひやかしの素見を浜千鳥・椋鳥・啄木鳥・水鶏・孔雀・目白に掛け、座敷へ通る客と若い者、遊女の口説きのやりとりを台詞で運ぶ。後半は年季明けを待つ遊女の義理のはかなさを語り、山雀・小雀・駒鳥・鶺鴒・雲雀・葦切・鶸・鶯と鳥の名の地口を重ねて、比翼紋の仲、新吉原の雀の噂で結ぶ。本文の一部は当ライブラリの長唄「吉原雀」(教草吉原雀)と重なる。本名題の「筐(形見)」「手向」と、橘を「袖の香」と読ませて古今集の「昔の人の袖の香ぞする」を響かせるところから、先人をしのぶ趣があるとも読めるが、誰をしのぶのかは原典からは確かめられない。仮名書きの多い『柏葉集』の本文に漢字を当てた。

あらすじ

昔の役者の当り芸だった吉原雀を、ここに写してお目にかける。捕らえた生き物を放つ放生会は、元正天皇の養老四年に宇佐八幡の託宣で始まった。浮かれ鳥ではないが、ひとり寝の片思いは憎らしいもの。土手八丁を通う客は口八丁に乗せられ、素見の客は椋鳥のように群れて格子先をのぞき、見世清掻の三味線が鳴る。座敷へ通る客と若い者、遊女の口説きのやりとり。年季の明けるのを待つ遊女は、義理一遍の付き合いが心のもめる種だと嘆く。鳥の名を次々に地口にして手管と籠の鳥の身を語り、文の便りに今宵来るという主さんとの比翼紋の仲を面白がって、新吉原の雀の噂は今も残ると結ぶ。

詞章と現代語訳

俳優の昔むかしを今いまに教草おしへぐさ〔合〕吉原雀よしはらすゞめの古ふる事ことを、此処こゝに写うつして三みつ扇あふぎ、誰たれも三枡みますと窶やつし事ごと

昔の役者の芸を今に伝える教え草。吉原雀の古い趣向をここに写して——三つ扇、誰もが見ます三枡の、やつし事。

凡およそ生いけるを放はなつ事こと、人王にんわう四十四代しじふしだいの帝みかど、元正天皇げんしやうてんわうの御宇ぎようかとよ

そもそも生き物を放つということは、人王四十四代の帝、元正天皇の御代であったか。

養老やうらう四年よねんの中なかの秋あき、宇佐八幡うさはちまんの託宣たくせんにて、諸国しよこくに始はじまる放生会はうじやうゑ

養老四年の仲秋、宇佐八幡の託宣によって、諸国に始まった放生会である。

浮うかれの鳥とりにあらねども、今いまも恋こひしき独ひとり住ずみ、小夜さよの枕まくらに片かた思おもひ、可愛かはひ心こゝろと汲くみもせで、何なんじややら憎にくらしい

浮かれ歩く鳥ではないけれど、今も恋しいひとり住まい。小夜の枕に片思いをして、可愛いと思うこの心も汲んでくれず——何やら、憎らしいことよ。

〔二上り〕

その手てで深ふかみへ浜はま千ち鳥どり、通かよひ馴なれたる土手どて八町はつちやう、口くち八町はつちやうに乗のられて、沖おきの鴎かもめの二丁にちやう立だち〔合〕三さん挺てう立だち

その手管で深みへ引き込まれる浜千鳥。通い馴れた土手八丁、口八丁に乗せられて、沖の鴎のように二挺立て、三挺立ての舟で。

素見すけんぞめきは椋鳥むくどりの、群むれつゝ木き突つゝき格子かうし先さき、叩たゝく水鶏くいなの口くちまめ鳥どりに、孔雀くじやくぞめきで目白めじろ押おし、見世みせ清掻すがゝきのてんてつとんサツサ押おせ押おせへ

冷やかして歩く素見の客は椋鳥のよう。群れながら啄木鳥のように格子先をつつき、戸を叩く水鶏、口まめ鳥に孔雀のぞめきで目白押し。見世清掻の三味線がてんてつとん、さっさ押せ押せ。

馴なれし廓くるわの袖そでの香かに、見みぬやうで見みるやうで、客きやくは扇あふぎの垣根かきねより、初心可愛かはゆく前まへ渡わたり

馴れた廓の袖の香のなかで、見ないようで見ているようで。客は扇をかざした垣根越しに、初心で可愛らしく前を通り過ぎる。

サア来きたぞ来きたぞ来きたぞよ、サア来きた又また来きた

「さあ来たぞ、来たぞ、来たぞよ」「さあ来た、また来た」。

ナニ、あのあまはさしがあると、障さはりじやないか、おきやあがれ、さしも凄すさまじいはへ、又またお障さはりか

「なに、あの女には『さし』があると」「お障りではないか」「よしやがれ、さしもすさまじいわえ」「またお障りか」。

ヲイ、せんしう頼たのむぜ、お腰こしの物合点がつてんか、ソレ唐傘からかさ其処そこ置おけ

「おい、せんしう、頼むぜ」「お腰の物、合点か」「それ、唐傘はそこへ置け」。

二階にかい座敷ざしきはコウ、右みぎか左ひだりか、ずつと、奥座敷おくざしきでござります

「二階座敷はこう、右か左か」「ずっと奥座敷でございます」。

しんぞそさまは寝ねても覚さめても忘わすられぬ、どふぞ二人ふたりがこつそりと、深山みやまの奥おくのぐつとの奥おくの侘わび住すまい

「ほんに、あなたは寝ても覚めても忘れられない。どうぞ二人でこっそりと、深山の奥の、ぐっと奥の侘び住まいを」。

コウコウ、町人ちやうにんさん見みたやうだよ、おきやがれ、憎にくいぞへ

「こうこう、まるで町人さんの暮らしのようだよ」「よしやがれ」「憎いぞえ」。

そふした黄菊きぎくの白菊しらぎくと、同おなじ勤つとめのその中なかに、義理ぎりと呼よばるゝ〔合〕果敢はかなさは

そうした黄菊と白菊のように、同じ勤めのなかで、義理と呼ばれる仲のはかなさは。

〔カン〕

年ねんが明あくのを待まちかねて〔合〕やつぱりしたばと呼よばれたく

年季が明けるのを待ちかねて、やっぱり「したば」と呼ばれたく——

男をとこゆへなら〔合〕楽たのしみに、苦界くがいする身みを立たてるとて、義理ぎり一遍いつぺんの仇付は、結句けつく心こゝろのもめる種たね

惚れた男のためなら、それを楽しみに苦界に身を立てもしよう。けれど義理一遍の浮いた付き合いは、かえって心のもめる種。

勤つとめする身みも素人しろふとも、女子に二ふたつはないはいな

勤めをする身も素人も、女の心に二つはないものよ。

よしてくれよしてくれよしてくれよ、吉原雀よしはらすゞめの雛ひなからかはれて

よしてくれ、よしてくれ、よしてくれよ。吉原雀の雛のころから飼われて——からかわれて。

山雀やまがら小雀こがらの口嘴ばしなんぞで、手練れんの初音ねを〔合〕聞てもくんねへ

山雀や小雀の口ばしのような口先で、手練手管の初音を聞かせても、聞いてもくれない。

〔合〕うそどりやないとの、ひぶみの駒鳥〔合〕そこらの目白が〔合〕見付けてせきれい合

嘘ではないという、「ひぶみ」の駒鳥。そこらの目白が見つけて、鶺鴒の競り合い。

約束やくそく雲雀ひばりは昼ひるでも葦切よしきり、ちよつと格子かふしへ顔かほどり出せとは〔合〕さりとは鶸ひはどり〔合〕

約束の雲雀は、昼でも「よし」と切り上げ、葦切。ちょっと格子へ顔を出せとは——さりとは、ひどい鶸鳥。

鶯うぐひすの〔合〕魂胆こんたん秘密ひみつは手管てくだのくだかけ

鶯の魂胆、秘密は、手管の「くだかけ」(鶏)。

奇妙きめう鳥類てうるい〔合〕籠かごの鳥とり、訳わけもなにやらおかしらし

奇妙鳥類——籠の鳥。わけも何やら「おかしらし」。

文ふみの便たよりにナア、今宵こよひごんすとその噂うはさ、いつの紋日もんびも主ぬしさんの、野暮やぼな事ことじやが比翼紋ひよくもん、放はなれぬ中なかではないかいな、面白おもしろや

文の便りに「今宵まいります」とのその噂。いつの紋日も主さんのため。野暮なことだが比翼紋——離れられない仲ではないかいな。面白いことよ。

実げに花はなならば桜時さくらどき、月つきなら最中もなか

まことに、花ならば桜の盛り、月ならば十五夜の満月。

竹たけ叢むらに、その青楼せいろうの名なにし負おふ、新吉しんよし原はらといふ雀すゞめ、今いまに噂うはさや残のこるらん

竹むらに宿る雀のように、青楼の名に聞こえた新吉原の吉原雀——その噂は、今も残っていることだろう。

この曲は詞章の出典が他の清元と異なる。国書刊行会『徳川文芸類聚』第九 俗曲上所収『柏葉集』の本文(著作権消滅)による。目次・本文の題名は『筐花手向の橘(吉原雀)』。原典には作者の記載がない。詞章集は本名題の読みを「かたみのはなたむけのそでのか」「かたみのはなむかしのそでのか」の二通りに挙げる。

原典は仮名書きが多いので、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。原典が漢字で書いている字はそのまま残した(「俳優」「初心」「女子」「仇付」は読みを定めがたいので、ふりがなを付けていない)。

当ライブラリには長唄の「吉原雀」(本名題『教草吉原雀』、長唄集の本文)もある。この清元版は、冒頭の「俳優の昔を今に教草、吉原雀の古事をここに写して」の前置きのあと、放生会の由来、浮かれ鳥の片思い、土手八丁と素見の鳥尽くしまでが長唄と重なり、その先は別の文句になる。長唄集が「くわうせう天皇」「末の秋」「浮寝の鳥」とするところを、この本文は「元正天皇」「中の秋」「浮れの鳥」とする。

「三つ扇」「三枡」は役者の紋と見られる。三枡は市川團十郎家の紋で、「誰も見ます」に掛ける。三つ扇が誰の紋か、誰の吉原雀を写したのかは、原典からは確かめられない。

中ほどの「サア来たぞ」から「憎いぞへ」までは、座敷へ通る客・若い者・遊女のやりとりの台詞である。原典に話し手の記載はないので、段の中では読点で区切るにとどめ、訳では台詞ごとに「」を付けた。どの台詞を誰が言うかは、こちらの判断で断じない。

繰り返し記号は、直前の語句を繰り返すものとして展開した。「きたぞ/\/\よ」は「きたぞ」を二度繰り返して「来たぞ来たぞ来たぞよ」、「よしてくれ/\よしてくれよ」は「よしてくれ」の繰り返しと見た。どこまでを一語と見るかはこちらの判断による。

後半は鳥の名の地口が続く。山雀(やまがら)・小雀(こがら)・鷽(うそ=嘘)・駒鳥・目白・鶺鴒(せきれい)・雲雀(ひばり)・葦切(よしきり=良し切り)・容鳥(かほどり=顔)・鶸(ひは)・鶯・くだかけ(鶏の古名、「手管」に掛ける)。「奇妙鳥類」は念仏の「帰命頂礼」のもじりか。「竹叢に雀」は取り合わせの決まった画題。

原典の用字「そふした」「どふぞ」「ゆへ」「すまい」「はいな」「かふし」(格子と見た)はそのまま残した。

語義を定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「さしがある」「さしもすさまじい」の「さし」(差し合い・差し障りの意か)、「せんしう」(人の名か)、「したば」、「仇付」、「ひぶみ」(緋文・日文とも見えて断じきれない)、「せきれい合」の末の「合」(合方の記号〔合〕の括弧が落ちたものか、「せき合ひ」に掛けた字か、断じきれない)、「おかしらし」。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。