仲蔵狂乱なかぞうきやうらん
長唄 本名題『狂乱雲井袖』 作詞者・作曲者・初演年不詳

狂乱物。失った人を慕って心を乱す姿を描く。「いざさらば、ありし雲居の花の袖」と別れを告げる鼓歌から起こし、定家葛の離れぬ仲を隔てられた恨みを言う。中ほどは「踊る振りが見たくば北嵯峨へござれ」と誘い、吉野初瀬の花よりも紅葉よりも君の面影が見たいと嘆く。比翼連理の契りさえ花に嵐、冬枯れの雲の彼方に春が来て、風に散る雪の花が君の袂に積もるのもうれしいと言い、千々に心を乱して、人目も分かず伏し転ぶ。
あらすじ
いざさらば。ありし雲居の花の袖。思えばかかる執着の、定家葛の離れぬ仲を、隔てられても、そもや、そも。思い出すとは忘るるからよ。なんの忘りょぞ、いたいけ盛り。さても、さても、わごりょは、踊る振りが見たいか。踊る振りが見たくば北嵯峨へござれの。北嵯峨の踊りは対の帽子をしゃんと着て、踊る振りがよいとの。吉野初瀬の花よりも、紅葉よりも君が面影。現にも夢にも見たや、なつかしや。古にしことを聞くからに、比翼連理の契りさえ、花に嵐の情なや。さらに別れのなかりせば、千代も人には添うてまし。よしや草葉に忍ぶとも、色にぞ出でし我が恨み。千草も冬枯れて、雲の彼方に春や来て、風に散り飛ぶ雪の花。散りや、散り散り漂う。君が袂に積もるもうれし。千々に心も乱れて。恋しや昔、床しやと、彼方へ慕い、此方を慕い、別れの床の台とぞ、人目も分かず伏し転ぶ。
詞章と現代語訳
『いざさらば、ありし雲井の花の袖、思へばかゝる執着の
いざさらば。ありし雲居の花の袖。思えばかかる執着の——
『ていか蔓の離れぬ仲を、隔てられてもそもやそも、思ひ出すとは忘るゝからよ、なんの忘りよぞいたいけ盛り
定家葛の離れぬ仲を、隔てられても、そもや、そも。思い出すとは忘るるからよ。なんの忘りょぞ、いたいけ盛り。
さてもさてもわごりよは、踊るふりが見たいか、踊るふりが見たくば、きたさがへ御座れの、きたさがの踊は対のぼうしをしやんと着て、踊るふりがよいとの、吉野初瀬の花よりも、紅葉よりも君が俤、うつゝにも夢にも見たや懐しや
さても、さても、わごりょは、踊る振りが見たいか。踊る振りが見たくば、北嵯峨へござれの。北嵯峨の踊りは、対の帽子をしゃんと着て、踊る振りがよいとの。吉野初瀬の花よりも、紅葉よりも君が面影。現にも夢にも見たや、なつかしや。
古にしことを聞くからに、比翼連理の契さへ、花に嵐の情なや、さらに別のなかりせば、千代も人には添てまし、よしやくさばに忍ぶとも、色にぞ出し我が恨
古にしことを聞くからに、比翼連理の契りさえ、花に嵐の情なや。さらに別れのなかりせば、千代も人には添うてまし。よしや草葉に忍ぶとも、色にぞ出でし我が恨み。
千草も冬枯て、雲の彼方に春や来て、風に散り飛ぶ雪の花、ちりやちりちり漂ふ、君が袂に積るも嬉し、千々に心も乱れて
千草も冬枯れて、雲の彼方に春や来て、風に散り飛ぶ雪の花。散りや、散り散り漂う。君が袂に積もるもうれし。千々に心も乱れて。
恋しや昔床しやと、彼方へ慕ひ此方を慕ひ、別の床の台とぞ、人目もわかず伏転ぶ
「恋しや、昔。床しや」と、彼方へ慕い、此方を慕い、別れの床の台とぞ、人目も分かず伏し転ぶ。
詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集(明治四十二年)の校訂本文(著作権消滅)による。繰り返し記号は読みやすく展開した。
本名題は『狂乱雲井袖』(きようらんくもゐのそで)。狂乱物と呼ばれる、心を乱した人物を描く曲種の一つ。
「ていか蔓」は定家葛。式子内親王の墓にからみついたという伝説から、離れがたい執心のたとえ。
「比翼連理」は白居易『長恨歌』の「天に在りては願はくは比翼の鳥と作り、地に在りては願はくは連理の枝と為らん」による。
「わごりよ」は親しい相手への呼びかけ。「きたさが」は北嵯峨、京都の地名。
「別の床の台」は死者を葬る台の意にも取れるが、ここは別れの床のこと。
語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「対のぼうし」(同じ帽子を揃えて着ることかと見られる)。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。