藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
長唄

五郎時致ごろうときむね

資料の題名「時致」  曽我物

⎙A4一枚に印刷できる詞章(PDF)開く・印刷・保存お稽古や舞台の予習に。A4横一枚にまとめてあります。
五郎時致 富士の裾野
富士の裾野

仇討ちの日を待つ曽我五郎時致が、廓の化粧坂の少将のもとに通う。恋と念力を並べて、末は江戸の開帳の賑わいを寿ぐ。

あらすじ

父の仇を討たんとする曽我五郎時致も、春雨に濡れて廓へ通う。化粧坂の少将のもとへ、雨の夜も曇りの日も通いつめ、大磯の諸分けにほだされ、仮の伝手の一筆や野暮な口舌のやりとり、粋な手管についのせられて浮気な酒に酔う。だが「いや、我もいつか父の仇を晴らさん」と思い返す。十八年の天津風を吹き返す念力は岩をも通す矢先のごとく、その勇猛血気のありさまは、牡丹に翼をひらめかす小蝶のよう。二上りでは、まだ鳴かぬ鶯をうらやむ庭の梅、春風が浮名を立てて吹き送る堤の菫と鷺草、露の情に濡れた同士の色と恋との実くらべ、仲の町の賑わいへと転じる。末は孝勇無双の功、あら人神と崇められて、名のお江戸の浅草に開帳のある賑わしさで結ぶ。

詞章と現代語訳

〔本調子〕

さるほどに、曾我そがの五郎ごらう時致ときむねは倶不戴天ぐふたいてんの父ちちの仇あだうたんずものと、たゆみなき彌猛心やたけごころも春雨はるさめに濡ぬれて廓くるわの化粧坂けはひざか名なうてと聞ききし少将せうしやうの

さて、曽我の五郎時致は、ともに天を戴かぬ父の仇を討たんものと、その心をゆるめることがない。だがその猛りたつ心も春雨に濡れて、廓の化粧坂——名うてと聞こえた少将のもとへ。

〔合方〕

雨あめの降ふる夜よも雲くもの日ひも、通かよひかよひて大磯おほいそや、さその諸分しよわけの、ほだされ易やすく誰たれに一筆ひとふで仮かりのつて、野暮やぼな口舌くぜつを返かへす書がき、粋すいな手管てくだについのせられて

雨の降る夜も、曇りの日も通いに通って大磯や、その諸分けにほだされやすく、誰にともなく一筆したためる仮の伝手。野暮な口説きを返す文、粋な手管についのせられて。

浮気うわきな酒さけよ宵よひの月つき、晴はれてよかろか濡ぬれぬがよいか、とかくそむかふ春はるの癖くせ

浮ついた酒に、宵の月。晴れてくれたほうがよいか、いっそ濡れぬがよいか。とかく思うにまかせぬ、春の癖である。

いでオ、それよ我われもまた、何時いつか晴はらさん父ちちの仇あだ、十八年じふはちねんの天津風あまつかぜ、今いまぞ吹ふきかへす念力ねんりきの、岩いはをも通とほす矢先やさきやら

いや待て、それよ、我もまた——いつの日か晴らさん父の仇。十八年ものあいだ吹きつけた天津風を、今こそ吹き返す念力は、岩をも通すという矢先のようである。

げに勇猛ゆうまう血気けつきのありさま、また牡丹花ぼたんくわに翼つばさひらめく小蝶こてふの如ごとく、勇いさましくも又また、藪やぶの鶯うぐひすけなげなり

まことに勇猛血気のありさま。また牡丹の花に翼をひらめかす小蝶のようで、勇ましくもあり、藪の鶯のようにけなげでもある。

〔二上り〕

まだ啼なかでうらやましさの庭にはの梅うめ、あれそよそよと春風はるかぜが浮名うきなたてて、小吹こぶき送おくる堤つつみの菫すみれ鷺草さぎさうを、露つゆの情なさけに濡ぬれた同士どうし、色いろと恋こひとの実じつくらべ、実浮じつういた仲なかの町ちやうよ、やよ

まだ鳴かぬ鶯をうらやましく思う庭の梅。ほら、そよそよと春風が浮名を立てて吹き送る、堤の菫や鷺草。露の情に濡れた者同士、色と恋との実くらべ。ほんに浮ついた仲の町よ、やれやれ。

孝勇かうゆう無双ぶさうのいさほ、あら人神ひとがみと末すゑの世よも、恐おそれ崇あがめて今年ことし又また、名なのお江戸えどの浅草あさくさに開帳かいちやうあるぞ賑にぎはしき

孝行と武勇に並ぶもののないその功。あら人神として末の世までも恐れ崇められ、今年もまた、名にし負うお江戸の浅草に開帳があるとは、なんとも賑わしいことである。

この曲は詞章の出典が他と異なる。純邦楽詞章集に立項がないため、『長唄撰集』第二編(大正十四年・長唄会編・著作権消滅)所収「時致」の本文(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵本)により、繰り返し記号は読みやすく展開した。

原典は木版の行書体のため、読み取りに推定を含む箇所がある。 とくに〔合方〕の「さその諸分けの」、二上り冒頭の「まだ啼かで」は字が判読しきれず、前後の文意から補った。お手元の稽古本と必ず照合されたい。

「倶不戴天」はともに天を戴かぬ意で、父の仇をいう。曽我兄弟の父河津三郎は工藤祐経に討たれ、兄弟は十八年後に仇を討った。「十八年の天津風」はその歳月をいう。

「化粧坂の少将」は大磯の遊女で、五郎の兄十郎祐成の愛人とされることが多いが、この曲では五郎の通う相手として描かれる。

「諸分け」は廓の事情に通じていること。「仮のつて」は間に立つ者の手引き。「口舌」は痴話喧嘩。

「岩をも通す矢先」は、李広が虎と見て射た矢が石を貫いたという故事による。強い念力のたとえ。

「仲の町」は吉原の中央を貫く大通り。「開帳」は寺社が秘仏を公開すること。浅草寺の開帳は江戸の一大行事であった。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。