藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
常磐津

三保の松みほのまつ

常磐津  河竹黙阿弥 述  本名題『三保松富士晨明』  作曲者・初演年不詳

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三保の松 松原の夜明け
松原の夜明け

駿河の三保松原の夜明けに始まり、羽衣伝説を語り、そのまま東海道の地名を次々に詠みこんでゆく道中もの。天女の舞から遊里の恋へ移り、富士と松原を寿いで結ぶ。

あらすじ

ほのぼのと明けてゆく空の雲は晴れ、千本の松に風もなく、波も静かな御代の恵みを仰ぐ朝日。東を照らす宮の名も高い久能山。遠く望めば箱根の二子山、近い眺めは青嵐の吹上の浜、薩埵越え。岸を打つ波の清見潟、清水の湊は朝の賑わい、行き交う船の真帆片帆、風のまにまに御穂の社の三保神楽。名高い羽衣の松は常磐に色を変えず、幾年を経た物語——有渡の浜辺へ雲居から天女が降り、松に掛けた羽衣を漁り人に拾われて、帰るすべもない荒磯の苫屋にはかなくも結んだ夢。その別れに舞ったのが差手引手の駿河舞、霓裳羽衣の一曲に袖を返して波間へ帰る。その天女には劣ろうとも、伊達を競う駿河の弥勒町。通い慣れた廓の遊女に旅寝の憂さを忘れ、朱の煙管の長かれと交わす袖、袖師の浦のように偽りなく。語らう間さえ短夜に、別れともなく興津川。またのお目もじを約束し、日取りを数える後朝に、鐘を恨む有明の月は吐月峰に残る。あとへ心は残れども、狐が崎の名もあれば、これも手管と菴崎よ。手越の里の少将の昔を忍ぶ厚原、曽我の祭の賑わい、賤機山の賤の女が浮島が原に浮き立って、田子の浦辺へ打ち寄せる波に姿を映して見る水鏡、雪の化粧のその美しさ、誰に靡くか夕煙。まことに時知らぬ山という富士は四季に変わりなく、三保の松原は千代をかけて枝葉が栄える——その常磐津の賑わう家こそめでたい。

詞章と現代語訳

ほのぼのと、明行あけゆく空そらの雲くも晴はれて、千本せんぼんの松まつに風かぜもなく、波なみも静しづけき君きみが代よの、恵めぐみを仰あふぐ朝日影あさひかげ

ほのぼのと明けてゆく空の雲は晴れて、千本の松に風もなく、波も静かなこの御代の恵みを仰ぐ——さしそめる朝日の光。

東ひがしを照てらす宮みやの名なも、高たかき山路やまぢの久能山くのうざん遠とほく望のぞめば玉櫛笥たまくしげ、箱根はこねが嶽たけの二子山ふたごやま、近ちかき眺ながめは青嵐あをあらし、吹上ふきあげの浜はま薩埵越さつたごえ

東を照らす東照宮の名も高い、その山路の久能山。遠くを望めば——玉櫛笥の箱ではないが、箱根が嶽の二子山。近くの眺めは青嵐の吹き上げる吹上の浜、そして薩埵峠の越え。

岸きし打うつ波なみの清見潟きよみがた、清水しみづの湊みなと朝込あさごみに、船ふねの往来ゆききの真帆まほ片帆かたほ風かぜのまにまに風早かざはやの、御穂みほの社やしろの三保神楽みほかぐら

岸を打つ波の清見潟、清水の湊は朝の込み合い。行き交う船の真帆に片帆、風のまにまに——その風の早い風早の、御穂の社に奏でる三保神楽。

音おとに聞きこえし羽衣はごろもの、松まつは常磐ときはに色いろ変かへず幾年いくとせ古ふりし物語ものがたり

名高い羽衣の松は、常磐の緑のまま色も変えず——幾年を経て古びた、あの物語よ。

有渡うどの浜辺はまべへ雲井くもゐより、天津乙女あまつをとめが天降あまくだり、松まつに掛かけたる羽衣はごろもを、漁いさり人びとに拾ひろはれて、帰かへるよすがも荒磯あらいその、荒あれ苫屋とまやに果敢はかなくも、結むすびし夢ゆめの別路わかれぢに、吾妻遊あづまあそびと夕汐ゆふしほに差手さすて引手ひくての駿河舞するがまひ

有渡の浜辺へ雲居から天女が降り立ち、松に掛けた羽衣を漁り人に拾われて、帰るすべもない荒磯の——荒れた苫屋にはかなくも結んだ夢。その別れぎわに、東遊びと夕汐に、差す手引く手の駿河舞を舞った。

霓裳羽衣げいしやうういの一曲いつきよくに、袖そでを返かへして帰かへる波なみ

霓裳羽衣のひと曲に袖を返して舞い、そのまま波間へ——天へと帰っていった。

其その乙女をとめには劣おとるとも、伊達だてを駿河するがの弥勒町みろくちやう

その天女には劣るとしても、伊達を競い合う駿河の弥勒町——府中の遊里よ。

通かよひ廓くるわの遊女いうぢよに、旅寐たびねの憂うきを忘わすれ草ぐさ、朱しゆの煙管きせるの長ながかれと、かはす袖師そでしのうらなくも

通い慣れた廓の遊女に旅寝の憂さを忘れ、朱の煙管の長きにあやかって縁も長かれと、交わす袖——袖師の浦ではないが、裏なく心置きなく。

語かたらふ間まさへ短夜みじかよに、別わかれともなく興津川おきつがは

語らう間さえ惜しい短い夏の夜に、別れとも言えぬまま——起きる、その興津川よ。

又またの御見おめみと約束やくそくの、日取ひどり数かぞふる後朝きぬぎぬに

またお目にかかろうと約束して、その日取りを数える——別れの朝に。

鐘かねに恨うらみぞ有明ありあけの、月つきは残のこれる吐月峰とげつぽう

別れを告げる鐘が恨めしい。有明の月はまだ残る——その名も吐月峰の空に。

あとへ心こころは残のこれども、狐きつねが崎さきの名なもあれば、是これも手管てくだと菴崎いほりざきや

あとへ心は残るけれども、狐が崎という名もある土地のこと、この名残もあの人の手管かと——菴崎よ。

手越てごしの里さとの少将せうしやうが、昔むかしを忍しのぶ厚原あつはらの、曽我そがの祭まつりの賑にぎはしく、賎機山しづはたやまの賎女しづのめが、浮島うきしまが原はら浮立うきたちて

手越の里の遊女・少将の昔をしのぶ厚原、曽我の祭の賑わい。賤機山の賤の女も、浮島が原の名のとおり浮き立って。

田子たごのええ田子たごの浦辺うらべへ打来うちくる波なみへ、姿すがたうつして見みる水鏡みづかがみ、雪ゆきの化粧けしやうの其その美うつくしさ、誰たれに靡なびくか夕煙ゆふけぶり、しよんがいなわけもなや

田子の——ええ、田子の浦辺へ打ち寄せる波に姿を映して見る水鏡。雪化粧をした富士のその美しさよ。誰に靡くのか、たなびく夕煙。しょんがいな、わけもないこと。

実げに時ときしらぬ山やまといふ、不二ふじは四時しじに変かはりなく、三保みほの松原まつばら千代ちよかけて、枝葉えだは栄さかふる常磐津ときはづの、賑にぎはふ家いへぞ目出度めでたけれ

まことに「時知らぬ山」といわれる富士は四季を通じて変わることがない。三保の松原も千代をかけて枝葉が栄える——その常磐の名を負う常磐津の、賑わうこの家こそめでたい。

この曲は常磐津。詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第四編 常磐津集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。

本名題は『三保松富士晨明』。詞は河竹黙阿弥。作曲者・初演年は原典に記載がない。

前半は駿河の名所を東から西へたどる。久能山(東照宮)・箱根・薩埵峠・清見潟・清水湊・御穂神社と、東海道の道行の形をとる。

「玉櫛笥」は櫛箱のことで、「箱」にかかる枕詞として箱根を引き出す。

中ほどは能『羽衣』による。天女が松に掛けた羽衣を漁夫の白龍に拾われ、舞を舞って返してもらい天へ帰る話。三保松原はその舞台。

「駿河舞」は東遊びの一曲。天女の舞ったものが起こりと伝える。「差手引手」は舞の手のこと。

「霓裳羽衣」は唐の玄宗が夢に見た月宮の曲。天女の舞の代名詞として使う。

後半は遊里の恋に転じる。「弥勒町」は駿府(静岡)安倍川のほとりの遊所。

「袖師のうらなく」は袖師ヶ浦の「浦」に「裏なく(隔てなく)」を掛ける。以下、興津川に「起き」、吐月峰・狐が崎・厚原・賤機山・浮島が原・田子の浦と、地名を掛けことばで繋いでゆく。

「手越の少将」は手越(現在の静岡市)の遊女で、曽我十郎祐成の恋人と伝える。厚原・曽我の祭も曽我兄弟にかかわる地。

「時しらぬ山」は『伊勢物語』九段、富士を詠んだ「時知らぬ山は富士の嶺」による。

結びの「常磐津の賑はふ家」は、常磐に栄える松原に常磐津節の家名を掛けた祝言。

「菴崎」の読みは「いほりざき」と推した。原典に振り仮名がなく、駿河の地名としても確かめきれていない。

流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。