三世相道行さんぜそうみちゆき
常磐津 狂言堂左交 述 本名題『三世相錦繍文章』のうち『道行蝶吹雪』 別題『おその六三』 作曲者・初演年不詳

心中物の道行。おそのと六三の夫婦が、深川の洲崎から袖が浦へ、思い出の土地を数えながら死出の道をたどる。世話物の道行の代表曲だが、終わりに二人の自害の場が置かれるので、席によっては扱いに心を配りたい。
あらすじ
春も更けた深川。洲崎に通う浜千鳥、幾夜の寝覚めにも関はなく、今は身で身を恨む——その恨み紫の褄に、女文の結びのかしくを反古に染めて、覚悟も揃いの晴れ小袖。蝶が花のほかを吹雪くように、狂うともなくほらほらと風に押されて踏み所もなく、足弱の車を引き悩む。六三はおそのを抱きいたわり、背を撫でさすって声を曇らせる。世の成り行きとは言いながら、長の病気のうえに苦労のありたけを仕尽くし、情と義理に身を捨てる不憫な者よ——と抱きしめれば、おそのは顔をつくづくと見守って言う。あれ、また何ともったいないことを言わしゃんす。大切な宝を失い、ご浪人にした元はと言えば私ゆえ。今さら言うも愚痴なれど、誓いは二世と三世相。あけて数えて相性に、金と水とは上もない、よい子をもうけていつまでも仲睦まじく栄えると書いてあったのを、真実と思うた甲斐もなく——あの兄さんの胴欲ゆえ、子はもうけても情けない責め、堕胎の薬。日の目も見せず、そのうえ幾瀬の思いで育てたおまつも非業に先立って、お前へ何と言い訳もなく。口惜しいと思う一心に兄を殺した身の罪科。親子兄弟夫婦までが一夜のうちに死ぬという、こんな因果があるものかと、男の膝にすがりついて前後も知らず泣き沈む。六三は心を励まして——これはしたり、二人が長らえているならばその歎きももっともだが、娘にも長庵にも、死ねばあの世でまた逢える。今わの際にそのような愚痴を言うものではない。人は最期の一念によって次の生を引くというから、心を清くもって死ぬものじゃわいのう。ほんにそうでござんす。おまつを先立てて跡に心残りはないけれど、旦那さんご夫婦にご恩も送らず。はて、それがやはり迷いの種。もう思い切って、あれ見やいの、この土手からが袖が浦。見晴らす夜半の春景色——月は冴えるが晴れ間もなく、涙に雨がかき曇る。袖の雫を後の世への手向けの水と、花見月。十八日を命日にするとも知らず、堰かれて後に逢うたのもちょうどあとの月。数えてみれば同じ日に。送りの船の三味線もどこへやら、佃のうわの空。心は矢のように急いて、それから先は文で知らせて松本へ。互いに焦がれ、寄るともなく昼も洲崎で青嵐。ちょっとひねて、三井ならぬ八幡鐘の別れ路に、まめでと言うのを汐浜の涙とともに落ちる雁。富士の暮雪に夕照りする木場の月の影は清く、今ぞ後生の雲も晴れて、すでに成仏と立ち止まる。病み上がりのそなたを歩ませて——どこまで行ったとて、ここぞ人の死に所と定まった場所もないもの。そのうえ私は兄さんを殺した科、縄目にかからぬその先に早く死にとうございますが、このまあ自堕落な姿。ちょっと帯を締め直すまで待ってくださんせ——と、死ぬ今わの際に身なりを繕う心根は、夫に見せる女心の哀れさよ。柾木垣から漏れて念仏の声がかすかに聞こえる。南無阿弥陀仏。おお幸い、あれは霊巌寺の常念仏。あの声を知る辺に、死出の山路へ手に手を取って。ええ、嬉しゅうございます。心静かに支度をしや。あい、もうし、この扱帯で足をしっかりと結わえてくださんせ。ほんに乱さぬようにわしがこうして——おお、これはしたり、強う痛むであろうのう。なんのまあ、今死ぬ身に厭いはない。六三さん、今一度顔を見せてくださんせいなあ。覚悟はよいかと、この世の念も明け近く、夫婦の命は短夜。今ぞ最後と引き寄せて、泣き顔を残すな残さじと笑顔をつくるけれど手も震え、刃の立てどころもなく涙。ここ、この胸元を。おお、急きやるな。いえいえ、早う——と女が諫めるのを力草に、風が誘い来る題目も、われを勧める妙法の利剣とぐっと貫けば、七転八倒、これはいかに。切先が喉の笛をよけて死にもやらぬ最期の業苦。ともに乱れて苦しみながら、気を取り直して引き寄せ、われとわが身に貫き立て、抉る苦しさのうちに暁天の一声——死出の田長鳥が、冥途の空へと行き迷う。
詞章と現代語訳
春更て江戸の淡路の上総山、洲崎にかよふ浜千鳥、幾夜寐覚の関もなく、今は身で身をうらむらさきの、褄にかしくを反古染に、覚悟も対の晴小袖
春も更けた江戸、淡路の上総山。洲崎に通う浜千鳥。幾夜の寝覚めにも関はなく、今は身で身を恨む——その恨み紫の褄に、女文の結びの「かしく」を反古に染めて。覚悟も揃いの晴れ小袖よ。
蝶花の外を吹雪くの二人連、狂ふともなくほらほらと風に押れて踏所なき、足弱車引悩む、おそのを抱きいたはりて、脊撫でさすり声曇り
蝶が花のほかを吹雪くように舞う、その二人連れ。狂うともなくほらほらと風に押されて踏み所もなく、足弱の車を引き悩む。六三はおそのを抱きいたわり、背を撫でさすって声を曇らせる。
世の成行とは言乍ら、長の病気の其上に、苦労のありたけ仕尽して、情と義理に身を捨る、不憫の者やと抱締れば、顔つれづれと打守り
「世の成り行きとは言いながら、長の病気のうえに苦労のありたけを仕尽くし、情と義理に身を捨てる、不憫な者よ」と抱きしめれば、おそのは顔をつくづくと見守って。
アレまた什麼勿体ない事言しやんす、大切な宝を失ひ、御浪人にした元はと言ば私故、今更言も愚痴なれど、誓ひは二世と三世相、あけて数へて相性に、金と水とは上もない、よい子儲けていつ迄も、中睦ましう栄へると、書て有は真実の、本と思ふた甲斐もなう
「あれ、また何ともったいないことを言わしゃんす。大切な宝を失い、ご浪人にした元はと言えば私ゆえ。今さら言うも愚痴なれど、誓いは二世と三世相。開いて数えて相性に、金と水とは上もない、よい子をもうけていつまでも仲睦まじく栄えると書いてあったのを、真実と思うた甲斐もなく」
アノ兄さんの胴慾故、子は儲けても情無い呵責の責の堕胎薬、日の目も見せず其上に、いくせの思ひで育てたる
「あの兄さんの胴欲ゆえ、子はもうけても情けない呵責の責め、堕ろし薬。日の目も見せず、そのうえ幾瀬の思いで育てた」
おまつも非業に先立て、お前へ何と言訳なく、口惜しと思ふ一心に
「おまつも非業に先立って、お前へ何と言い訳もなく。口惜しいと思う一心に」
兄を殺した身の罪科、親子兄弟夫婦まで、一夜のうちに死るといふ、斯麼因果があるものぞと、男の膝にすがりつき、前後正体泣沈む
兄を殺した身の罪科。親子兄弟夫婦までが一夜のうちに死ぬという、こんな因果があるものかと、男の膝にすがりついて、前後も正体もなく泣き沈む。
六三は心励まして
六三は心を励まして。
是はしたり二人長らへ居るならば、その歎きもさる事乍ら、娘にも長庵にも、死ばあの世でまた遇はれる、今端の際に其様な、愚痴を言ものではない、人は最期の一念によつて生を引くと言ば、心を清うもつて死るものぢやわいのう
「これはしたり。二人が長らえているならば、その歎きももっともだが、娘にも長庵にも、死ねばあの世でまた逢える。今わの際にそのような愚痴を言うものではない。人は最期の一念によって次の生を引くというから、心を清くもって死ぬものじゃわいのう」
ほんに爾でござんす、おまつを先立てて跡に心残りはなけれど、旦那さん御夫婦に御恩もおくらず
「ほんにそうでござんす。おまつを先立てて跡に心残りはないけれど、旦那さんご夫婦にご恩もお返しせず」
ハテそれが矢張迷ひの種、もうもう思切つてアレ見やいの此マア土堤からが袖が浦、見晴す夜半の春景色
「はて、それがやはり迷いの種。もう思い切って。あれ見やいの、このまあ土手からが袖が浦」——見晴らす夜半の春景色。
月は冴れど晴間なく、涙に雨のかき曇り
月は冴えるけれど晴れ間もなく、涙に雨がかき曇る。
袖の雫を後の世の、手向の水と花見月
袖の雫を後の世への手向けの水として——花見月よ。
十八日を命日に、なるとも知らず堰れて後
十八日を命日にすることになるとも知らず、人に堰かれて後に。
逢たも丁度あとの月
逢うたのも、ちょうどあとの月。
数へて見れば
数えてみれば。
同じ日に
同じ日に。
送りの船の三味線も、何処へ佃のうはの空、心矢走にそれからさきは、文で知せて松本へ、互ひに焦れよるとなく、昼も洲崎で青嵐、一寸ひぞりて三井ならぬ、八幡鐘の別路に、まめでといふを汐浜の、涙と共に落る雁、富士の暮雪に夕照す、野木場の月の影清く、今ぞ後生の雲晴れて、既に成仏と立留り
送りの船の三味線もどこへやら、佃のうわの空。心は矢のように急いて、それから先は文で知らせて松本へ。互いに焦がれ、寄るともなく昼も洲崎で青嵐。ちょっとひねて、三井ならぬ八幡の鐘の別れ路に、達者でと言うのを汐浜の涙とともに落ちる雁。富士の暮雪に夕照りする木場の月の影も清く、今ぞ後生の雲も晴れて、すでに成仏と立ち止まる。
病上りのそなたを歩ませ、何処まで往いたとて爰ぞ人の死所と定まつた場所もないもの
「病み上がりのそなたを歩ませて——どこまで行ったとて、ここぞ人の死に所と定まった場所もないもの」
其上私は兄さんを殺した科、縄目に掛らぬその先に、早う死たう御座んすが、此マア自堕落な態、一寸帯を締直すまで待て下さんせ
「そのうえ私は兄さんを殺した科。縄目にかからぬその先に早く死にとうございますが、このまあ自堕落な姿。ちょっと帯を締め直すまで待ってくださんせ」
と死る今端に前後、所体繕らう心根は、夫に見する女気の、哀れさいとど柾木垣、もれて念仏の声幽か
と、死ぬ今わの際にまで身なりを繕おうとする心根は、夫に見せる女心の——その哀れさよ。柾木垣から漏れて、念仏の声がかすかに聞こえる。
南無阿弥陀なむあみだ
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
ヲヲ幸アリヤ霊岸寺の常念仏、声を知辺に
「おお幸い。あれは霊巌寺の常念仏。あの声を知る辺に」
死出の山路へ
死出の山路へ。
手に手を取りて
手に手を取って。
エ嬉しう御座んす
「ええ、嬉しゅうございます」
南無阿弥陀なむあみだ
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
心静かに支度しや
「心静かに支度をしや」
アイもうし此扱帯で足を確りといはへて下さんせ
「あい。もうし、この扱帯で足をしっかりと結わえてくださんせ」
ほんに乱さぬやうにわしが斯して、ヲヲこれはしたり強う痛むであらうのう
「ほんに、乱さぬようにわしがこうして。おお、これはしたり、強う痛むであろうのう」
なんのマア今死る身に厭ひはない、六三さん今一度顔を見せて下さんせいナア
「なんのまあ、今死ぬ身に厭いはない。六三さん、今一度顔を見せてくださんせいなあ」
南無阿弥陀なむあみだ
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
覚悟はよいかと
覚悟はよいかと。
此世の念も明近き、女夫の命短夜や、今ぞ最後と引寄せて、泣顔残すな残さじと、笑顔つくれど手も慄ひ、刃の立どもなく涙
この世への念も明け近く、夫婦の命は短夜よ。今ぞ最後と引き寄せて、泣き顔を残すな残さじと笑顔をつくるけれど、手も震えて刃の立てどころもなく、ただ涙。
ココ此胸元を
「ここ、この胸元を」
ヲヲせきやるなせきやるな
「おお、急きやるな、急きやるな」
イエイエ早う
「いえいえ、早う」
と女がいさめを力草、風誘ひ来る題目も、われをすすむる妙法の、利剣とぐつと貫けば、七転八倒こはいかに、切先喉の笛をよけ、死もやらざる最期の業苦、共に乱れて苦しみの、気を取直し引寄せて、われと我身に貫きたて、抉る苦しさ暁天の一声死出の田長鳥、冥途の空へと行迷ふ
と、女が諫めるのを力草として——風が誘い来る題目も、わが身を勧める妙法の利剣と、ぐっと貫けば七転八倒、これはいかに。切先が喉の笛をよけて、死にもやらぬ最期の業苦。ともに乱れて苦しみながら、気を取り直して引き寄せ、われとわが身に貫き立て、抉る苦しさのうちに——暁天の一声、死出の田長鳥が、冥途の空へと行き迷う。
この曲は常磐津。詞章は声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第四編 常磐津集(明治四十二年刊・著作権消滅)所収の本文により、繰り返し記号は読みやすく展開した。
本名題は『三世相錦繍文章』。この曲はそのうちの道行の一段で、原典の題名は『道行蝶吹雪』、読みは「みちゆきちょうのふぶき」とする。別題を『おその六三』という。詞は狂言堂左交。作曲者・初演年は原典に記載がない。
世話物の心中道行。おそのの兄・長庵の胴欲から夫婦は追いつめられ、六三が兄を殺めたことで死出の道をたどる。終わりに二人が自害する件が置かれるので、演目を選ぶ席では扱いに心を配りたい。
「三世相」は前世・現世・来世の因縁と相性を占う書。二人がかつてその占いで「金と水は上相」と出たのを頼りにした、というのが曲名の由来であり、皮肉にもなっている。
「かしく」は女文の結びに置く語。それを反古に染めるのは、もう文も書かぬという心。
道行の道筋は深川。洲崎・袖が浦・佃・松本・汐浜・木場・霊巌寺と、二人の思い出の土地を数えながら進む。
「三井ならぬ八幡鐘」は近江八景の三井の晩鐘に掛け、深川八幡の鐘をいう。前後の暮雪・夕照・落雁もあわせて八景の景物を借りている。
「死出の田長鳥」は時鳥の異名。冥途との境を行き来する鳥とされる。
「霊岸寺」は原典の表記。深川の霊巌寺のこと。
「いくせの思ひ」「心矢走」「柾木垣」は語義が定めがたく、推測で埋めず原典のまま残した。「矢走」は近江の矢橋に掛けて気の急くさまをいうかと思われる。
流儀・稽古本によって仮名遣いや字句に異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。