もみじ葉もみじば
長唄 めりやす 資料の題名・別題『高尾』 作詞者・作曲者・初演年不詳

遊女高尾の名で伝わる、めりやす(芝居の下座で用いる短い唄)の小品。「もみじ葉の」と紅葉の縁で名高い高尾に言い起こし、親きょうだいのために身を沈めた勤めの辛さを、喉を通らぬ煙管の薄煙に託して嘆く。資料の題名は「高尾」で、当ライブラリでは資料の併記する「もみじ葉」を曲名に採った。
あらすじ
もみじ葉が、いまは青葉に茂る夏木立。花の春は、もう昔になってしまったらしい。世を渡るさまざまな身過ぎのなかで、わたしは親きょうだいのために恋の淵に身を沈めた。浮かびもやらぬ流れの憂き身、憂いぞ辛いぞ勤めの習い。煙草をのんでも煙管の先から、喉を通らぬ薄煙。泣いて明かさない夜半とてない。人の目の慰めになるこの身は、ほんに辛苦万苦の苦の世界。四季の紋日は小車のように、次から次へめぐって来る。
詞章と現代語訳
もみぢ葉の、青葉に茂る夏木立
もみじ葉が、いまは青葉に茂る夏木立。
春は昔になりけらし
花の春は、もう昔になってしまったらしい。
世渡るなかの品々に
世を渡る、さまざまな身過ぎのなかで。
われは親同胞の為めに沈みし恋の淵
わたしは親きょうだいのために、恋の淵に身を沈めた。
浮みもやらぬ流のうき身、ういぞ辛いぞ勤の習、煙草のんでも煙管より、喉が通らぬ薄煙、泣て明さぬ夜半とても無し
浮かびもやらぬ流れの憂き身。憂いぞ辛いぞ、勤めの習い。煙草をのんでも煙管の先から、喉を通らぬ薄煙。泣いて明かさない夜半とてない。
人の眺となる身はほんに、しんくまんくの苦の世界、四季の紋日は小車や
人の目の慰めになるこの身は、ほんに辛苦万苦の苦の世界。四季の紋日は、めぐる小車のように次から次へ。
この曲は詞章集の校訂本文(声曲文芸研究会『声曲文芸叢書』第二編 長唄集、明治四十二年刊・著作権消滅)により、繰り返し記号は読みやすく展開し、合方の指示は省いた。資料はめりやすに分類し、題名を「高尾」とする。もみじ葉は資料の併記する別の呼び名で、曲名の衝突を避けてこちらを採った。
高尾は吉原三浦屋の名妓の名。代々受け継がれた大名跡で、紅葉の名所高雄と名が通うことから、「もみじ葉の」と言い起こす。
「沈みし恋の淵」は身売りの身の上をいう。「勤の習」は遊女勤めのならい。
「しんくまんく」は辛苦万苦。「紋日」は廓で定められた物日で、遊女には揚代の重い勤めの日。「小車」はめぐる車輪。紋日が次々めぐって来ることのたとえで、「小車や」と言いさしたまま曲が納まる。
作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。