藤舎の紋 藤舎名玄TOSHA MEIGEN ― 詞章ライブラリーへ戻る
荻江

ありあけどきありあけどき

荻江節  作詞者・作曲者・初演年不詳

ありあけどき 有明の松
有明の松

秋の夕暮れの鶉の声に始まり、返す返す書く文、口に出せぬ恋、義理に隔てられる人の心を経て、明け方の空へ思いを託す小品。三筋の糸・結びの神・垂乳親と、恋の障りを畳みかけて、有明どきの鐘が告げる思いに納める。他の曲と異なり『徳川文芸類聚』所収の荻江節正本による。

あらすじ

夕暮れは——門出の秋に鶉が鳴く。いかに久しい松が枝の、その言の葉の返す書き。待つ身はいやよ、とつくづくと。住む人あいに、君恋し、ゆかしとばかり言いかねて、つい背を向けてのひとりごと。言うに言われぬ身の上は、世の義理や、月にかかる雲の——そのわけで変わる人心。三筋の糸のように長かれと、もつれていく千代を結ぶ、結びの神の仲立ちさんか。心は何と、垂乳親の——胸の関路は白川の、有明どきの鐘が告げる思いを。

詞章と現代語訳

〔三ノギン〕

ゆふぐれは

夕暮れは。

〔二ノギン〕

かどあきにうづらなく、いかにひさしきまつがゑの

門出の秋に鶉が鳴く。いかに久しい、松が枝の——待つ身の。

〔上クルギン〕

そのことののかへすがき、まつはいやよつくづくと

その言の葉の返す書き。待つ身はいやよ、とつくづくと。

〔二ノギン〕

すむひとあひに

住む人あいに。

〔三ノギン〕

きみこひしゆかしとばかりひかねて、つい

君恋し、ゆかしと、そればかり言いかねて、つい。

〔アタル〕

せなむけてひとりごと

背を向けて、ひとりごと。

〔一中ガカリ〕

ふにはれぬのうへは

言うに言われぬ、身の上は。

のぎりやつきにくもの、わけにかはるひとごころ

世の義理や、月にかかる雲の——そのわけで変わる、人心。

〔ギンガハリ〕

みすぢのいとのながかれと、もつれていく千代ちよ

三筋の糸のように長かれと、もつれてゆく千代を。

〔二ノギン〕

むすぶのかみのなかだちさんか、こゝろはなにとたらちおの

結ぶの神の仲立ちさんか。心は何と、垂乳親の。

むねのせきぢはしらかはの、ありあけどきのつぐるおもひを

胸の関路は白川の——有明どきの鐘が告げる、その思いを。

この曲は詞章の出典が他と異なる。『徳川文芸類聚』第十 俗曲下所収『荻江節正本』の本文(著作権消滅)により、章句の記号は原典のまま段の頭に残し、合方の指示は省いた。

原典は総かな書きのため、読みやすさを考えて漢字を当てた。ふりがなが原典の仮名である。

「有明どき」は月が空に残ったまま夜が明ける頃。後朝の別れの時刻で、鐘の音とともに恋の名残を託す。

「うづら鳴く」は荒れた秋の里の景物。「松が枝」は「待つ」との掛詞で、久しく待つ身を言い起こす。「返す書き」は書いては書き直す文。

「三筋の糸」は三味線の糸で、「長かれ」「もつれて」の縁語。「結びの神」は縁結びの神。「垂乳親」は父母のことで、恋の障りとなる親の意。

「胸の関路」は思いをせき止める関所の意。「白川」は歌枕の白河の関に、夜を明かす「白む」を掛けるか。

「一中ガカリ」は一中節の語り口を借りるところ。「アタル」「ギンガハリ」なども原典の節の記号である。

語義の定めがたい語は推測で埋めず原典のまま残した。「かど出の秋」「すむ人あひに」「なかだちさん」の続き方。

作詞者・作曲者・初演年は原典に記載がない。流儀・稽古本によって仮名遣いや字句にも異同があるため、演奏の際はお手元の稽古本と照合されたい。